直感と直観、その違いについて

直感と直観。

どちらも「チョッカン」と読みますし、理論的な方法で考え出したものではないという点で共通しています。

それ故に、その違いは分かりにくいかもしれません。でも、実際には、言葉が違っている通り、使い分けることができます。

直感:「感」が入っている通り、「感じることによる知性」の働きです。

直観:「観」ですから、そこにあるものを真っ直ぐ、ジャッジを交えずに観ることで得られます。

簡単な結論としては、こんなものになりますが、以下にもう少し掘り下げていきます。

目次

直感

直感の特徴は「答えに辿り着いた」感覚があることです。腑に落ちるというか。

これは五感の持つ知性によるものです。

五感に知性?って思う方もいらっしゃるかもしれません。確かに、一般的に言われる知性とは少しニュアンスが違います。

「胸に手を当てて考えてみる」
「肚に落ちる」

なんて言葉がありますよね。これらが五感の知性の働きを示している言葉です。

この言葉でも示している通り、通常の知性よりも力強く、多くのことを把握しているようです。

実際、ある研究によると、全身から脳に情報が送られていること。そして、その情報量の内で、脳が処理できる量は、何と全体の200万分の1なのだそうです。

出所のソースを示すことができないので、数字については間違ってるかもですが、少なくとも五感からの情報量のほうが圧倒的に多いことは間違いないようです。

実感として分かるなって方もいらっしゃるんじゃないでしょうか。

そうであれば、普段認識している知性だけでは計り知れないことを知覚していることは大いにあり得ることです。

(そしてその数字が本当なら、脳から見れば、その情報量は無限にも感じられるでしょうね。)

その膨大な情報量を上手く処理できた時の感覚を直感と呼んでいるわけです。

ビッグデータを使ったら、全く新しい事実が見えてきたといような感覚でしょうか。

僕の体験では、電車に乗る時、駅のホームを歩いていて、何となく足が停まった所で乗る。すると、降りる駅では階段が目の前にある、なんてことがあります。

これは直感のワザですね。

直観

直観の特徴は、「思いがけない発想」とでも表現しましょうか。

唐突に。

時には少しずつ時間をかけながら。

普段の自分では考えないようなことが湧き上がってきたり、舞い降りてきたり。

要は、思い当たる根拠が見当たらなかったり、「なんで、ここで?!」ということが起きたりしている。

直観は、内的なインスピレーションだけではないということです。(詳しくは後述します。

出てきたものをジャッジを交えずに観て、受け取れるものを受け取ったり、その時にできる行動をしてみたり。

ともかく、最初はカオスな感じで始まることが多い印象があります。出どころが内的なものか外的なものかはさて置きとして、現状が崩れていくような感覚を味わいます。

そう、その通り、崩れようとしているのです。

それに代わって、新しい何かが構築され始めようとしている。芋虫が、サナギになって、殆どの細胞をリセットして、蝶として体を再構築し始めるような体験です。

事前に、その路程が把握できていれば、もう少し気持ち的に楽なのでしょう。残念ながら、直観の行き着く先については、今の自分では、ちゃんと理解できないから、どうしようもないのです。

子供に、大人の世界について、いくら説明しても理解できないように。

2種類の直観

直観と一言で言いますが、僕は更に大きく2つの種類があると見ています。

「内なる直観」と「外なる直観」です。

「内なる直観」は、大半の方がイメージするそれかもしれません。

インスピレーション、内なる声、霊感などです。内側から湧き上がってくる感じや、自分の内側で響いている声のような感じがあります。

一方で、「外なる直観」は、多くの方が見落としているのではないでしょうか。

シンクロニシティ、出来事メッセージ、必然を感じさせる偶然などです。

直観は個人的な体験と思われがちかもしれません。でも、実は、いわゆる集合意識とも繋がった領域からのメッセージなので、外的な現象として伝えられることも多々あるんです。

しかも、いとも簡単に他人を巻き込んできます。

この内と外とが両輪となって、直観は前進していきます。

その先に待っているのがセレンディピティです。

直観に導かれる人生を

「霊主体従(れいしゅたいじゅう)」という言葉をご存知でしょうか。

「霊」とは「見えないもの」というニュアンス。それに対して「体」は「見えるもの」。

前項の直観の解説から、直観には何かソースのようなものがあると感じられたと思います。

「霊主体従」は、目に見えないソースの示す方向に自分を従わせる生き方です。現代ではネガティブな意味合いになっている「他力本願」も、本来は、このような意味です。

僕は、長年に亘って、霊主体従な生き方を日々、模索し、実践してきました。そして、これからも長く続けることになると思います。

何しろ、振り返ると、子供の頃から、そういう生き方を模索していた自分がいたのだから、よっぽどの何かがあります。

カオスの期間はややもすると大変に感じますが、その先に待っているセレンディピティが素晴らしいのです。だから止められません

まとめ

直感と直観。似て非なる、この二つの違いについて書いてみました。

僕が個人セッションをさせていただいているのは、直観から生きる生き方を模索されている方の力になったり、既に実践を初めている方に寄り添いたいという願いからです。

ピンと来た方は、是非、ご一報下さい!一緒に、この道を歩みましょう!!

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