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“内なる声”は成長する~“内なる声”を大切にするからこそ安易に信用しないほうがいい

あれは8月の下旬頃のことだったと記憶しています。

自分が、ある事柄に対して妙な反応をしていることに気づきました。

僕は、“内なる声”(“内的な促し”、“インスピレーション”、“直観”といったもの)を大切にしています。特に意図はしていないけど、妙に反応している自分に気づいた時。それは、僕にとって「“内なる声”が届いている」と考えています。

今回は“内なる声”で表現を統一しますね。

8月に感じ始めた“声”の内容を折に触れて検討していきました。自己内対話のような感覚です。その上で、できる範囲で、その示す方向に自分を進めていました。このあたりは、自分を少しずつ説得している感覚でもあります。そうして、状況を観察し続けていたところ、“声”の内容は次第に変化し、深まっていきました。

“内なる声”には、一つの特徴があります。それは、仮説的に捉えていますが、今回の出来事を通じて、それが再び実証された感覚があります。

では、どんな特徴があるのでしょうか。

それを僕は「“内なる声”は成長する」と表現しています。

だからこそ、その内容を信頼しない、鵜呑みにしないのが、“内なる声”と上手く付き合うコツだと考えています。

ストーリーを追いながら、その辺りを紐解いていきます。最後まで、お付き合いいただけたら嬉しいです。

目次

“内なる声”は多層的な意味を持つ教育プログラムのよう

今回の“内なる声”の始まりは、「休め」でした。今はコーチングを軸として、個人事業主をしていますが、その活動を控えようと促されていました。

きっかけは、その頃、僕の周囲の個人事業主仲間の何人かが、「活動を(一時的に)止める」と宣言したり、「実は、活動を止めてました」という発信をしている方が出てきました。

それだけなら、まぁ、有り得ない話ではありません。

珍しいことには変わりませんけどね。笑

ただ、そのタイミング重なったこと。少なくとも、僕には重なって見えた。そして、そんな彼ら彼女らの姿を見て、言葉にならないモヤっとした反応をしている自分に気づいたわけです。

これは“内なる声”っぽい感触だな。いや、しかし……!

皆さんは、ご自身が信頼している方から「仕事を休め」みたいに言われたら、どう思いますか? 特に、「もっと仕事で前進したい」みたいに考えているタイミングだったとしたら。

自慢にもなりませんが、事業活動が順風満帆とは考えていなかったので、「休むなんて、もっての外」という心境でした。家族に話すのも、かなり躊躇しました。でも、“内なる声”に従わないのも、また自分の生き方を否定することになります。その狭間で葛藤しながら、少しずつ自分を言い聞かせるように活動を縮小していきました。

とは言っても、僕の場合は停止させるとまではしませんでした。ご依頼いただいたセッション(有り難い!)だけお受けすることにして、新しく何か(サービスやイベント)を作ったり発信したりといったことは極力ストップすることにしたわけです。

心境的にも状況的にも、準備が整ったと思えたのは9月の末か10月の頭くらいになっていたと記憶しています。

蓋を開けてみれば

蓋を開けてみれば、文字通り、単純に休んだほうが良かった状況もありました。

先日のブログ「低気圧モードについて」という記事でも触れていますが、このところ、体調が低空飛行していたからです。積極的に休むことは、単純にやったほうが良いことでした。例えば、大して眠くなかったとしても、しっかり昼寝するようにしたりしてました。多動というほどではありませんが、ジッとしていられない質なので、若干の苦行です笑

でも、そんなシンプルな内容で済むことはなく、いくつもの意味合いを多層的に含んでいるのが“内なる声”の特徴です。案の定、その質感は刻々と変化していって、その全貌が次第に明らかになっていったのです。

その意味では、“内なる声”は学校のカリキュラムみたいだとも言えます。

算数で例えれば、最初は足し算・引き算から入って、理解できたら掛け算・割り算、そこから微分積分……といったように、最初は理解できる形で伝わり、次第に深いものが出てくるようになるわけです。

ありのままで良い

この「休め」という“声”に葛藤しているのと時を同じくして、あることに取り組んでいました。これには“声”のほうとは有機的な繋がりはありませんでした。

自分の存在感や周囲に与えているインパクトを考察していたんです。

「インパクト」というのは、(半ば)無意識・無自覚に僕が周囲に発信しているメッセージや雰囲気のようなものです。

それについては、「SNS友だちが気づかせてくれた僕の○○」という記事にまとめています。

そこから見えてきていたものが、前項の「休め」とシンクロしていくんです。

詳しくは「僕の○○」の記事を読んでいただけたら嬉しいのですが、結論として、僕が一番の強く発しているものは、「そのままで良い」というものでした。例え課題は感じていたとしても、現状のままで良いというものです。「無理に自分を変えようとせず、今の自分で満足して良いんだよ」と。敢えて強めの言葉を使えば、能力主義の否定です。

ここで、ハタと僕は一つの疑問にぶち当たります。

果たして、これは自分自身が実践できているだろうか?

日々の過ごし方を振り返ってみると、自分は能力主義的な日々を送っていたのです。数をこなそう、どんどん行動をしよう、そんなものをベースにした行動パターンを形成していました。要は、「今の自分では十分なレベルに達していない」と心の奥で考えて日々を過ごしていたのです。これはマズい!

完全に言ってることと、やってることが矛盾しています。

そこで、「そうか」と気づきます。

「休め」という“声”の意図は、この矛盾に気づかせて、能力主義を手放せということもあったのか。そのための準備として状況をリセットすることを促してくれていたのだ!

能力主義が正しいとか間違っているとかではなく、自分の信念や価値観と自分の行動が矛盾していることのほうが問題であるという気づきでした。

能力主義を手放せ

無自覚に能力主義的な生き方をしていた自分をリセットする。

ここまでに「休め」という“声”は、「能力主義的になっている自分を見直せ」というものに変化してきました。

前項でも触れましたが、能力主義が正しいとか間違っているとか、そういうことは無いと考えています。単純に能力主義を採用すると力を発揮できるタイプと、逆に力が発揮できなかったり力を奪われるような状態になるタイプとがいるということです。

能力主義下だと、どうしても人との比較が入り込みやすくなります。力が発揮できなかったりするタイプは、比較に流され、やらなくて良い自分の弱点や欠点を克服しようとします。要は「もっと良くならねば」という想いが強く働きます。同時に「周囲に貢献しなければ」という想いにも繋がっていくこともあります。

こういった「もっと良く」や「貢献」というのは、一見すると真っ当な感じがします。でも、こういう発想の奥まで掘り返してみると、見え隠れするものが出てきます。

どんなものがあるのでしょうか。

よくあるパターンは、先程も少し触れましたが「現状はダメである」という否定です。力が発揮できないタイプは、こういう奥のものに影響を受けやすいタイプと言えるのかもしれません。

タイプ論のような形で語りましたが、これはシンプルに僕自身のことを語っています。

能力主義ではなく、何なのか?

妥当な言葉が見つからないのですが、強いて言えば「無為の為」が近い感じです。

無為の為というのは、特別なことは行わず自然のままにしておくことが、物事を上手くいかせるためにできることである、といった考えです。

もっと相応しい言葉があったら教えてください!

シンプルに表現すると、ただそこに立っているだけ。

ちょっと大きな話になってしまいますが、富士山のような存在です。

富士山は何をしているわけでもありません。でも、そこに聳えていることで多くの人が力を得ています。多くの人が、富士山に惹かれ、訪れます。私たちに寄り添うわけでも共感するわけでも無いのに。成長しようと日々努力をしているわけでもなく。

当然、僕は富士山には(文字通り)足元にも遠く遠く及びませんが、そんな「立っているだけ」という存在感の方向性を持つように切り替えることにしました。日々の暮らし方全般に、それを浸透させていくチャレンジが待っていました。

而して、これがブレイクスルーになっていきました。

自分の価値観、美学を全身で体現する

最初のほうで書きましたが、このところ体調の低空飛行(低気圧モード)が続いていました。

「立っているだけ」が日々の中に浸透していくるに従って、低空飛行から通常の高度に戻ってきつつあります。

これまで色々と試みても、一向に改善しなかったのに……。

ここから学んだことは、月並みな表現になってしまいますが、やはり「自分らしく生きる」ことの大切さです。それを頭で考えてやるのではなく、全身で表現すること。

以前、仲間が僕のことを「草食系男子というより樹木系男子」と例えてくれたことがあります。

自然を観察していると、ただ咲いて、ただ散っていくところがありますね。そんな存在感に僕もなりたい、そんな結論に至りました。それは、僕の感覚だと、世間的に認められている生き方ではありません。でも、勇気を持って、自分らしく生きる純度を高めてみたところ、体調の好転という結果をもたらしてくれました。

「休む」というのは、元気を取り戻すためにすることです。“内なる声”に耳を傾け、その真意が見えるようになるまで丁寧に向き合ってみた結果、最初の「休め」の言葉に戻ってきて、元気が戻ってきているのを感じています。

まとめ

「“内なる声”は成長する」ということについて、この秋に体験したストーリーを交えて考察してみました。

“内なる声”をキャッチしたことで満足してしまうのは、足し算・引き算を覚えた時点で「算数の学びは終わった!」と決め込んでしまうようなものです。

少しずつ全貌が明らかにされていく傾向があるものです。だから、“内なる声”を感じた時でも、「これで望んだ方向に行ける!」と安易に安心しません。

これは、あくまで始まりに過ぎない

これから深まっていく可能性があるから、共に歩んでいこう

いや、そもそも勘違いとかも有り得る

そのくらいの距離感を維持するように意識することを意識しています。

今回、体調不良の改善だけに留まらず、生き方のバージョンアップまで“内なる声”は促してくれました。“内なる声”の持つ多層的な意味合いに、僕自身がいつも驚かされます。

ちなみに、今年の誕生日(10月23日)その日に、一連の流れが終了した感覚がありました。その日を境に、少しずつ活動を元に戻し始めています。

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