僕がまだ幼稚園児か、小学校に上がって間もない頃の話です。
アイロンをかけている母の横で遊ぶ僕。不注意から、僕の下腿がアイロンの側面に触れてしまったことがありました。
その時の火傷は、僕の下腿の外側、ちょうど向こう脛とふくらはぎの中間のところに細長い跡を残します。縦に15cmくらいのそれは、20年くらい残っていました。
このように、まだ小さい頃の傷が、跡になって、大人になるまで残っていることがあります。とはいえ、体が大きくなってくるにしたがって、傷跡は相対的に小さくなって、存在感が薄まっていきます。跡としては残っていても。
子供の頃の傷というのは、なにも肉体的なものだけではありません。当然、精神的なものもあります。
僕は、気持ち的に癒されないものがあっても、そこを癒すことを目的としないほうが良いと考えています。それよりも、「大きくなる」ことを目指して進んでいくことに注力するようにしています。結果として課題は気にならなくなる道を採るのが最善と考えています。
逆に、癒すことにフォーカスしてしまうと、現状維持することになってしまい、返って傷の存在も残ってしまう。
Problems cannot be solved by the same level of thinking that created them.
これはアインシュタインの言葉で、「問題というものは、その問題が造られたレベルにとどまっている限りは解決しない」という意味合いです。有名な言葉なので、ご存じの方も多いかもしれません。
癒すことにフォーカスするか、それとも大きくなることにフォーカスするかは、これと似たようなものだと言えます。
さて、「大きく」というのは、あくまで方便としての表現として使いました。
実際には、発達段階の上にシフトすることと考えています。
芋虫が(サナギを経て)蝶になることに似ています。葉っぱの上を這うことしかできない時の悩みは、空を飛べるようになったら気にならなくなるようなものです。
まとめ
「大きくなれば気にならなくなる」ということについて書きました。
僕の個人セッションでは、先ほどの蝶の例えで言えば、「サナギの期間」にご活用いただくのが良いと考えています。
外側から見える動きは決して大きくないですが、意外と本人には負担がかかっていたりします。その負担を最小限に留めて、次のステージに進むお手伝いをしたいのです。
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