人生をドライブに例えることができます。
ただし、自分自身は、助手席に座っていると考えると、さらに深い意味が見えてきます。ここで言う自分というのは顕在意識や理性のことです。
一体、どういうことなのでしょう。
自分は助手席に座っているようなもの
僕は、人生をドライブと例えた時、ハンドルを握っているのは私たちの潜在意識や無意識の部分だと考えています。少なくとも、そう考えたほうが、今のような変化の大きい時代においては、返って楽です。
ご存知かと思いますが、顕在意識と潜在意識の比率は、5 : 95と言われています。この比率には諸説ありますが、いずれにせよ、潜在意識のボリュームのほうが圧倒的に大きいですよね。
次に、車でドライブする場合を考えてみましょう。ドライブが安全に進むか、どこに辿り着くかは、ハンドルを握るドライバーによる部分のほうが圧倒的に大きいですよね。
こうして並べてみると、人生をドライブに例えた時、顕在意識の立ち位置って、助手席に座っているのと似ているとは思いませんか?
助手席には助手席の役割が
助手席に座っている時。基本的に状況を見ているだけというか、車窓の風景を楽しむことが一番です。
ドライバーに対して、あれやこれやと注文を付けても車内の雰囲気が悪くなります(笑)
ましてや、横から手を出してハンドルを動かそうものなら、事故の原因にもなりかねません。
しかし、現代は多くの方が、助手席からハンドルを掴みにかかっているのではないでしょうか。それで安全・快適なドライブになるわけがないのですよね。それにも関わらず、「人生が上手くいかない」と嘆いているのではないでしょうか。
人生という、車窓の風景を楽しむ
先ほど、助手席に座っている人の役割は、運転は運転手に任せ、車窓の風景を楽しむのが一番と書きました。
人生においても、「人生のドライブ」は無意識領域に委ね、顕在意識(自覚のある自分の意識)は、人生で起きてくることを観て、体験するリラックスして、
僕自身、無意識領域に任せるようになってから、人生が返って思い通りになりやすくなっています。思いがけない出来事やご縁が、後々で、自分が本質的に求めていたものを手に入れたり体験したりすることに繋がるようになったからです。後から思い返しても、その時の自分(顕在意識)では思いつきもしなかった形でしたし、期待以上のものを成し遂げられました。
まとめ
人生はドライブのようなものだが、助手席に座っていると考えてみてはいかがでしょう? ということについてでした。
現代は理性を重んじるところがあります。理性が最も優れていると考えているところがあります。
しかし、理性の座である顕在意識は、人間の意識のうちの5%ほどしかないと言われています。理性を重んじすぎると、残りの95%という膨大なリソースを使わずにいるのと同じようなことになりかねません。
私たち自身の内側にある潜在意識のガイドを信頼し、互いに協力しながら進むことが大切です。潜在意識だって同じ自分ですから、自分を本質的に害するようなことはしませんから。
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