皆さんにとって、「仕事」とは、どんな定義ですか?
「仕事は生きること」
これが僕の定義です。
言い換えると、「生きること、そのものが仕事である」という意味合いです。
「仕事」という言葉を使っていますが、「使命」とか「存在意義」とか、そういう言葉に置き換えたほうが合っている方も
いらっしゃると思います。
僕のほうで言葉選びに拘りはないので、ご自身で心地良いほうを選んで読んでいただければ嬉しいです。
では、そのあたりの意図や背景、そのメリットやデメリットには、どんなものがあるのでしょうか。
生きることが仕事
「生きること、そのものが仕事」
改めて、皆さんにとって「仕事」とは、どんなものを指していますか?
どんな定義をお持ちですか?
- 収入を得る手段
- 貢献すること
- 楽しいこと(または、辛いこと)
などなど、人によって様々だと思います。
上に挙げた定義をベースに、改めて見てみると、次のようなものは「仕事ではない」ということになりますよね。
- 収入を得られないこと
- 貢献できていない(と感じる)こと
- 楽しくないこと(または、辛くないこと)
僕としては、この「仕事である/仕事ではない」の境界線を取り払おうという意図があります。
もっと大きな枠組みである「生きる」ということを、「仕事」と同義にしてしまおうと。
そうすれば、誰かと他愛ない話で笑い合うこと、食べること、眠ること、愛すること/愛されること、もちろん働くことも、全てが価値のあるものとして見えてくると思うんです。
仕事/仕事でないの境界線があるリスク
例えば、仕事の定義が「収入を得る手段」だとすると、仮に、何らかの理由で収入が得られない状況が訪れると、収入がないという苦しさだけではない苦しみが伴うわけです。
特に、僕のような個人事業主や経営者、或いは専業主婦のような方、或いは病気や障がいなどの事情で働くことが叶わない方などには、この様な定義が強いほどに、顕著に苦しくなってしまうのではないでしょうか。
自覚のある無しに関わらず。
それに対して、「生きること=仕事」と定義すると、こういった苦しさに繋がるリスクを減らすことができます。
仮に何らかの事情で、体が思うように動けない時であっても、生きていれば「仕事」をしていることになりますよね。
その安心感のようなものをベースに持つことで、「できることをさせていただけば良い」と思えるようになるわけです。
生きているだけで価値がある
つまるところ、私たちは「生きているだけで価値があるのだ」という価値観を持とうということを言いたいのです。
その安心感が現代はごっそり抜け落ちていると思うのです。
例えば、自分の預かり知らないところで、誰かが自分のことを思い浮かべて、「あの時は楽しかったな〜」とか、ふと幸せを感じたりしてたとします。(逆の体験もありますよね。)
これなんて、正に生きているだけで価値がある(=仕事をしている)のだということの証しです。
まとめ
この頃、「仕事=生きること」に再定義することを提案するということを書きました。
仕事に限らず、パートナーシップとか子育てとか、そういったものに何か息苦しさを感じたら、その枠組みをいったん外して、逆側から見てみたりすると、色々と広がっていきますよ。
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