先日、田幡壮さん(たばちゃん)による、“メンタルモデルひもときセッション”を受けました。
何か運命的な流れで、彼のセッションを受けることになったと感じています。
また、終えてみて、まさに鎧を斬られた感覚で、その隙間から、ジワジワと世界の見え方に変化が起きているのを感じている今です。
要するに、セッションでの変化を、まだまだ言語化しきれずにいる。そんな今から、書いています。
事の始まり〜運命的ともいえるご縁から始まった
2月の末。
たばちゃんが、モニター募集中というSNSへの投稿をしているのが目に留まりました。それが、今回のきっかけ。
元々、「社長!今日も斬らせていただきます。」(通称「今日斬り」)というYouTubeチャンネルのファンの僕。これは由佐美加子さんによる“ひもときセッション”を動画で公開しているもの。
なかなかチャレンジングな内容です。
「いっそのこと、自分も出演してセッションを受けてしまおうか?」
冗談半分ではあったけど、そんなことを考えていたタイミングにいたのです。ご縁キタ! ということで、その場ですぐに連絡を入れました。
思えば、彼との出会いは、僕にとっては運命的でした。
彼が今日斬りに出演? して、クライアントとして「斬られ」た時の動画を視聴したのが、彼を知るきっかけ。2022年3月のことです。
「今日斬り」の動画は、最新のものまで全て視聴していますが、後にも先にも、たばちゃんの回ほどの衝撃を受けたことはない。そう言えるほど、その後の僕に影響を与えてくれているものです。
彼を知った数ヶ月後。今日斬りの運営者が主催のオンラインのイベントで、たばちゃんと繋がり、今に至っています。この時も、予想だにしていない展開で、繋がらせていただきました。
そんな彼から、巡り巡って、ひもときセッションを受けることになった。しかも、動画を見た、ほぼちょうど2年後のタイミングとなる、2024年の3月に。
このことに、何か運命的なものを感じずにはいられません。
▼2年前に観た動画です
セッション中に感じていたことを振り返る
ここでは、セッション中に感じていたことを書き残しておきます。
「不本意な現実」と呼んでいるものを入口にセッションは始まります。このあたりを、ちゃんと言語化するところから始まりました。
そのため、冒頭はちょっと理詰めな雰囲気(?)で始まりました。感覚的なタイプの僕としては、ちょっと息苦しさを覚える時間ではありました。
でも、そういうのは最初だけ。
次第にセッションが深まってくるにつれて薄らいでいきます。それに代わって、ある種の熱が場を包み込んでいくのを感じていました。
そして、次第に姿が露わなってくる僕の“メンタルモデル”。僕の意識のOSというか、挙動パターンのようなもの。良くも悪くも、僕の言動のベースにあるものです。
言語を使って見える化するので、自分でも、自分の意識の認知システムが客観視できてくる。「そりゃー、そうなるよなぁ」と、思わず苦笑い。
さらに、暖まってきた(?)たばちゃんから、珠玉の言葉がポンポン飛び出します。そんなふうに自分のことを見てあげたことなかったなぁとなって、ジーンと込み上げてくるものがあります。
中には、「なんで、これだけの情報で、そのことが分かったの?!?!」という箇所もありました。
「これじゃあ、〇〇ってなるに決まってますよねぇ」って言われて、ちょっと「痛てて」ってなる場面も(笑)
セッションを終えてみて
▲紐解かれたメンタルモデルのマップ
結局、僕は、自分の個性を、できるだけ隠して生きようとしていたようです。そうしようとする意識のOSが、今も駆動してたことがハッキリしました。だいぶ外せたつもりでいたけど。
自分はちょっと特殊な存在である。
物心ついた頃から、そんな自己認知していました。そんな自分で、この社会を生きていくのは難しいと考えたようです。そうして、小さい時の僕なりの次善の策として、あのような意識OSを構築したわけです。それを、大きくなった今でも使い続けていた。
同時に理解できたこともあります。
自分の内側にある感情とか感覚とかを、自分でちゃんと分かっていたのだと。自分で思っている以上に自分で分かっていた。そのことを指摘してもらえた瞬間が一番、印象に残っています。
というのも、自分では「自分のことを分かっていない」と強く考えているからです。でも、紐解かれた“モデル”を見ていれば、そうではないのは一目瞭然です。
自分をちゃんと分かっているからこそ、自分を隠そうとするOSも強く働いてしまうというパラドックス。アクセルを踏み込みながら、ブレーキも踏んでいるような。
明かされた本質と、セッションを終えて
自分が何かを表現したいという属性を強く持っているのが理解できました。
ひもときセッションは、ロジックで理解させてくれるので、こういう時の説得力がすごいと思います。現代人に合っているというか。
そんなセッション後。数日かけてじわじわと気づきが重なり、今は、自分が更地に立たされている感覚になっています。
何なら、自分にとって価値があったと思えていたもの、活動の原動力になっていると考えていたもの。それらも、単なる怖れからの駆動だったかもしれない。そんなものまで見えてきました。
結局、僕は何がやりたかったんだっけ? 何が表現したいの?
つい、この間まで掴めていた気がしていたものが、ガラガラと崩れて、リセットされてしまったかのよう。価値判断の軸になるものが無くなっている。
「きっと、自然と変わっていくんだと思います」
たばちゃんが、セッションの最後で、そんなことを話してくれていました。
正直、今の状況に、ちょっと焦る自分もいます。特に大きな選択を迫られた時に、いつもの感覚で決断ができない状況が続いています。
でも、そんな自分を楽しんでいる自分もいます。それを感じながら、自然な感じで変化していくんだろう、という日々になりました。
まとめ
たばちゃんの、メンタルモデルひもときセッションを受けたことについて書きました。
現時点のものを綴ったので、まとまりのないものだったかと思います。最後までお付き合いくださり、有り難うございました。
こうして綴ってみると、ずっと取り組んでいるテーマを再び扱うことになったという気もしています。同時に、更に深まったとも言えるし。10年に1度クラスの、内面的な大型アップデートのきっかけを作ってもらえたというのが、現時点の位置付けです。
2年前。たばちゃんのことを知ることになった動画を通じての気づきがあったからこそ、今の自分があると常々感じていました。特に、直近の1年は大きな環境の変化を味わったのもあり、余計に感じていました。
こうして、たばちゃんからのセッションを受けること自体に、意義があったのだとも考えています。たばちゃん、ありがとうございました!
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