ウツの効用、後編です。
まだ前編をお読みでない方は、こちらの記事を先にお読みいただくことをオススメします。お読みいただかなくても、こちらの記事単独でもお読みいただけるかと思いますが。
僕自身は、精神科医のような鬱の専門家ではありませんが、20年以上にわたって人の心を探究してきました。今では個人セッション家として、人の心の在り方を整えるサポートを生業にしています。同時に、僕自身も鬱の傾向があります。
そんな人生という現場の中で見えてきた鬱に対して思うところを、敢えて発信してみることにしました。
前編では、鬱の原因、そして、そこから抜け出すために妨げになるものを考察しました。
後編(本稿)では、仮に鬱状態になってしまった場合の抜け出し方について提案しつつ、鬱には効用があるということについて考察していきます。
入院するほどではないにしても鬱状態にある方、またはご自分の大切な方がそういう状態にあるという方の参考になれば幸いです。
抜け出し方
過熱してしまったPCを回復させるには休ませれば良いように、鬱になった時に大事なのは休むことです。
前編でも触れましたが、治そうとしないこととも言えます。「気がついたら、いつの間にか治っていた」となるのが理想的です。しゃっくりが気づいたら治まっていた時のような感覚です。
整体の祖である野口晴哉氏は、『風邪の効用』という著書の中で、「風邪は治すのではなく経過させること」と述べています。それに通じるところがあります。
可能な限り、自身の活動を控えていきます。過熱してしまったPCを回復させるにはシャットダウンするのが理想的なように、動きを止めるくらいが理想的です。もちろん深刻度によりますが。
休むことは、同時に自分のこれまでの生き方を見直す機会ともなります。自分に無理をかけながら取り組んでいるものから優先的に手放したり、負荷が軽くなるように工夫する。生きていく上で必要最小限に留めようと留意してみること。
また、家族や身近な人に自分の状態を知ってもらうことも大切です。
ハウツーをお伝えしましたが、やはり急き立てることは禁物が基本です。できる範囲で少しずつ取り組むことが大切ですね。
物事を必要最小限に留めるプロセスは、何が本当に大切なのかが見えてくるというメリットもあります。
一方で、休んでしまうと不安が押し寄せてくることもあります。例えば「収入が」とか「これまで積み重ねてきたキャリアが」などといったものです。後の項でも触れますが、ここをちゃんと扱う(経過させる)こと。そして、その不安などの奥にある本当に大切にしたいものを明確にしていくことが大切です。
そういう時は、専門家を頼るのもオススメです。こちらの記事では、専門家に話を聴いてもらうことの大切さについて触れています。
それと、この項のタイトルと矛盾してしまいますが、「一病息災」くらいの感覚を持つほうが健全ではないかと強く感じます。鬱を自分の一部として付き合っていく感覚を持つということです。次の項でも触れますが、鬱にも効用があります。見方を変えれば高い生産性を持っています。鬱を治すことは、そうした面を手放すこととも言えるからです。
鬱の効用
鬱にはポジティブな側面があります。とても生産性が高いとも言えます。端的にいうと人間として成長させてもらえることです。
僕の専門領域から見ると、成人発達理論という心理学が示すような「発達(≒人間性の成長)」が起きてきます。
この理論が示している“発達”が起きると、人間はエゴ的な発想が減っていくようです。そういう人たちが一定の人数に達すれば、自ずと社会は自然や人に負荷が小さいものへと変容していきます。近年、SDGsが着目されているように、これからの時代は、拡大を続けるという成長ではなく、自然環境や人間に優しい、もっと言えば、むしろ回復させてくれるようなテクノロジーや社会の形成が求められます。
そういう方向性を広げるものこそが「生産性が高い」と言えるでしょう。
では、もう少し具体的な内容を見ていきましょう。
人の痛みに共感できるようになる
人の痛みが理解できず、それがために他人に厳しいという人がいます。痛みが分からない人が分かる人へと変化していくきっかけになれます。
同時に、こんなふうにも言えます。こういうタイプは、結局は自分の中に既にある痛みを抑えつけているとも言えます。だから自分自身にも優しくなれます。
自分に優しくできるから人にも優しくなれるという形での思いやりを持った人が増えれば増えるほど、質の高い社会になっていきますね。
生き方(考え方や働き方など)を変えるチャンス
鬱に限らずですが、様々な不調には、機能不全に陥った生き方を手放すチャンスを与えてくれています。
結局、休んでいる時に押し寄せてくる不安が問題の本質だったりします。これは、個人セッションを提供させていただいている中でも、様々な場面で感じることです。
この不安に対峙することを恐れて、自分を急き立て続けてきたことが、返って鬱を招いてしまったことに気づく必要があったわけです。
強制停止ともいえる状況だからこそ、自分と向き合うことができ、そこから新たなステージへと移行することができます。新たなステージは、より自分らしい在り方のそれになっていきたいですね。
アートは鬱の中から生まれる
この数年の感染症騒ぎで社会活動が停滞しました。その中で優先的に止められたのがアートに関するものです。でも、そのおかげで、私たちが生きていく上で、如何にアートが大切か、豊かにしてくれるかということを再確認することができました。
多くの偉大なアート作品を生み出したアーティストは、多くの方が鬱的な状態を経験していたりします。逆に、社会の標準的な発想の中からアートは生まれません。
アートは人間世界を豊かにしてくれるという意味で、非常に生産性の高いものです。
まとめ
ウツの効用について、前編・後編に分けて考察しました。
現代において、鬱は病気としてカテゴリーされています。実際は、当人を守るための保護機能であり、同時に、新たな、もっと自分に相応しい生き方の扉を開いてもくれるものです。
鬱にならないに越したことはありませんが、それでも、そうなってしまうことや、大切な人がそうなってしまうということは有り得ることです。そんな方の、ささやかでも助けになれたら嬉しいです。
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