僕が大っぴらに人の力を借りれるようになったわけ

皆さんは、人に力を借りたり頼ったりすることに苦手意識はありますか?

僕がSNSで大っぴらに人の力を借りようとしたりしたことが、思いがけない反響を呼びました。

危うく忘れかけていましたが、僕自身も、人に頼ることに強烈に抵抗があった人間でした。それが、どうして人の力を借りることに抵抗を(あまり)感じなくなれたのかを紐解いてみました。

それは、あるものと、あるものを切り離すことができたことが秘訣でした。

目次

大っぴらに人を頼ったら……

最初に、今回の記事のきっかけになったエピソードから始めていきます。

こちらの記事にもある通り、この4月に埼玉県の寄居に新たな拠点を作りました。

その過程で、何回かSNSに投稿しています。内容は、欲しい物リストを作って公開したり、「引っ越しの手伝いに来てくれる人募集」といったもの。

実際にSNSに投稿したもの

そんなふうに僕が大っぴらに?人に頼る姿に、僕にとってはちょっと意外な反応をしている方々が散見されました。

反応があるのは、大きく二つに分かれます。

  • 積極的に何かできるか考えてくれたり、実際に行動したりしてくれた人。
  • 人に頼ることにブロックを感じて、僕のやっていることに一種の戸惑いを覚える人。

後者のほうを少し意外に感じたのですが、よくよく考えれば「そりゃそうだよなぁ」と深く頷かされる反応でもあったわけです。

僕自身も、長男気質だからなのか何なのか、人に頼るのがダメでした。人に頼ることができるようになってきたのは割と最近って思っています。

思い出すのは会社員時代のエピソードです。

象徴するようなエピソード

その会社での業務は、困難&ハードで、僕の能力の限界を超えていました。

そんな中、頼りにしていた人にも「自分には無理」と匙を投げられ(「投げつけられた」ような感覚でした)頭をガーンと殴られたかのように、目の前が真っ白になってしまいます。そのまま気絶するんじゃないかという思いが過ぎるほど、足元がグラグラになりました。

そこまで追い詰められても、僕は上司なりにSOSを上げることはできなかったのです。

「SOSを上げる」という発想すら湧いてきませんでした。

それだけ人に力を借りることに対して強固なブロックがあったわけです。

そんな僕が何故できるようになったかというと、大きくは二つあります。

パートナーと共に暮らす中で

一つは2020年に再婚して、生活を共にしてきたことが挙げられます。

ハンドメイド作家の側面もあるパートナーは、手先が器用。それを活かして、日常生活で僕が上手くできないことをアッサリ解決してしまうということを何度も目の当たりにしました。

しかも、見ていて、何だか楽しそうですらある。僕は眉をしかめてやっているのに笑

そんな姿を見ていて、「なんだ、頑張るだけ無駄やーん」ってなったわけです。

「コスパが悪いな」みたいな感覚でした。

相手の反応は相手のもの

もう一つは、僕がリクエストすることと、相手が受け取るかどうかを切り離すことができたこと。

相手が対応してくれるかどうかは、相手に選択権があると考えるようになったということです。

仮に相手がNGと断ってきたり、スルーしてきたとしても、それは「僕自身の不出来の証明ではないんだよな」って思えるようになれた。

これには、前段として、リクエスト後の自分の「反応」を切り離したということがあります。

「反応」は、だいたいにおいて、その人特有のパターンが決まっています。癖のように。

僕の場合は、もしリクエストが受け取ってもらえないと、「自分がポンコツ/欠陥品だと証明されてしまった」って反応してしまうのがそれ。かなり無自覚な領域なんですが。

ここまで辿り着けたことで、「真実かどうかは誰にも分からんよね(そして、概ね真実ではなさそう)」という判断が回ってくれ、切り離しが進んだことになります。

内省を積み重ねると、こういうところに辿り着けるのですね。

副産物としての気付き

相手の受け取り方を切り離すことをし始めて、「これが本当に相手を大切にすることだったのかも」と気付いたのです。

相手の受け取り方を切り離せていない時、相手の反応によって自分の感情なりが左右されていました。

相手の反応に左右されるということは、言ってみれば相手をコントロールしようとしていたということです。

例えば、「好きにしてくれていいよ」などと言いながら、実態は「こうであれ」というプレッシャーのようなものが、その人なり場から出ている。そんな場面って経験ありませんか? そうされた時に、相手から自分は大切にされていると感じられるでしょうか?

相手の反応は相手のもの。相手に自由に選んでもらっていいという姿勢は、言ってみれば愛ですよね。

まとめ

人に全く頼ることができなかった僕が、どうやって人に「力を貸して」と言えるようになったのかについて書きました。

もちろん、一足飛びにできるようになったわけではなく、それなりの時間をかけて今の状態になっています。

力を借りられるようになって体験的に学んだのは、一人でも受け取ってくれる人が現れてくれるだけで、すごく豊かな体験が待っているということ。

そして、意外と応えてもらえる、ということも嬉しい誤算、みたいな体験になっています。

そして、応えてもらえたら、「わーい\(^o^)/」って、ちゃんと喜ぶのも大切ということも。これは相手のためというより、自分のためです。

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