運命の歯車が突然まわり始めた話|寄居町に拠点を作ることになった経緯について

3月21日の投稿で、埼玉県の寄居町に新たに拠点を構えることをアップしました。

そちらの続報を含めて、ここまでの歩みをざっくりと振り返ります。

先に補足としてお伝えしておくと、今までの事業活動も継続して続けています!

また、北鎌倉も拠点として残します。鎌倉を地縁に繋がらせていただいた皆さんとのご縁も大切に思っていて、引き続き交流したいですしね。

ペースが落ち着いたら、月の2〜3割は、鎌倉で活動するくらいの割合にできたらと考えています。

目次

きっかけになった仕事は?

先程の記事で「移住支援の仕事に就くことになった」と書きましたが、今回はもう少し具体的にお伝えしようと思います。

その仕事は“地域おこし協力隊”です。

半官半民というか、役場と連携して、地域の活性化を促す活動をします。要するに、僕のような移住希望者に仕事を与えて都市部から地方移住への資金的なバックアップをしている感じです。

3~4年前から、そういう制度があるのは知っていました。でも、募集している市町村によって、その活動内容はマチマチ。林業や農業などが目立つ印象がありました。

そんな中、寄居町では移住支援のポストを用意していたのが、今回の動きにつながります。

正しくは「移住希望者・創業希望者支援、空き家・空き店舗活用支援」の活動になります。

いきさつ的な話

ここでは、今回の動きに至るまでの経緯を簡単にご紹介します。

話は2016年頃に遡ります。

その頃、「半農半X」というライフスタイルのコンセプトを知ります。以来、そちらへの方向性を模索し始めました。この流れに至る原点になります。

半農半Xとは、自ら畑で野菜などを育て、可能な限り自給自足的な食生活を構築しながら、好きなことを仕事にしようというものです。

詳しくは、こちらの書籍をお読みになってみてください。

自分(たち)で育てた野菜を、その時、必要なだけ収穫し、収穫してすぐに食べるという日常に深く惹かれるものがありました。

「そうなると、鎌倉では実現が難しいし、地方に暮らすべきだよな」

「どうせやるなら、米作りまでやりたい」

そんなイメージを膨らませていました。ところが、事態は思うように進みません。

2017年に勤めていた新宿にオフィスのある会社を辞めはします。でも、移住へ進むわけではなく、コーチング事業などをするために。半農半Xを意識しながら、実際はフリーランスとしての道に流れていったのです。

内心では、半農半Xから遠ざかっているような心地ですよ。

そうはいっても、その事業にまつわることは楽しかったですし、自分に合っていましたけどね。

その後、地方移住は一度、達成します。縁あって、東京の秘境とあだ名される(?)奥多摩に拠点を移したのです。

ただ、半農半Xには、やはり近づけません。山深い奥多摩には、そもそもから畑が少なかったですし、田んぼとなると全くありませんでしたから。

2020年の春に、一念発起して、南阿蘇へ移住しようと考えていましたが、そこでもストップがかかります。

例の感染症が広がり始めたことと、時期を同じくして今のパートナーと婚約・結婚することになったからです。

うーむ、これはどういうことだ?! 本当は半農半Xなんて望んでないのか……?

そんなふうに悩みもしましたが、後で振り返れば、このタイミングでは移住しないのが正解でした。地域の方々と、都市部から来た人たちとの間でのトラブルの話をあちこちで耳にしたからです。実際、南阿蘇がどうだったのかは分かりませんけどね。

タイミングが合わない

前項のプロセスの中で、地域おこし協力隊という制度を知ることになります。

その中には移住支援のポストがある自治体があることも。

海か山かと言われると、山のほうが好きなのもあり、林業も関心はありました。やはり、自分自身も移住者として、これから移住しようとしている人たちとのハブになる役割に惹かれるものがありました。

ただ、そもそも移住支援で募集している自治体も少なかった。募集していても、募集期間と僕自身のタイミングが合わないということが殆ど。

うーん、タイミングが合わない。

実際に、移住支援のポストがある地域の方が、役場の担当者に繋いでもらえたりということはありました。タイミングがやはり、どうしようもないハードルでした。

恋愛で、お付き合いに至るまでのプロセスに似てますね。

そうこうしているうちに、僕自身、協力隊への関心は薄れていきます。

運命の歯車は突然に

寄居を拠点に活動することになるのは、唐突に吹いてきた突風という感じでした。

今回のキーパーソンになるOさんがいます。

秩父に住む友人から「寄居で移住支援をやっている人」として彼女を紹介してもらったのが今年の1月中旬。とりあえずFacebookで繋がらせていただきました。

その後、彼女の投稿がタイムラインに上がってくるのを見るとはなしに見ていたら、「僕が移住支援するなら、こんなことをやりたい」とイメージしている活動と近いぞ?! と気づいていきます。

そして、2月の下旬に一念発起。Oさんに「一度、詳しくお話を伺ってみたい」と連絡します。幸い、日程を調整してくださり、3月7日に寄居に伺うことが決まります。

その頃、僕はTwitterで、こんな投稿をしています。

もっとも、ツイートした時点では、一個人の活動としてやっていくつもりでした。

運命の3月7日

寄居の町を軽くアテンドしていただきながら、お話を伺っている中で、次のようなことを知ることになります。

  • 実はもうすぐOさんの任期が満了すること
  • 次の人を募集しているが、応募が来ていないこと
  • 公には募集期間が終了しているが、応募自体はまだ受け付けていること

僕自身が先ほどのツイートしたように意識が高まってましたし、寄居の街に流れる空気感にも違和感を感じなかった安心感も手伝い、「これは流れが来ている」と感じます。

そこで、応募してみたい旨を伝えたところ、その場で役場の担当者の方に繋いでくださり、応募について話を伺うことができました。

もう、この時点でほぼ気持ちは決まっていました。

そして、鎌倉に戻ってから改めて正式に申し込み用紙を送付。面接を経て同月20日に採用の通知をいただき、いよいよ歯車が本格的に回り始めたのでした。

寄居での拠点が決まって

採用の通知をいただいてから、スケジュールの合間を縫って、まずは物件探しです。

状況が刻々と変化していく中で、どうにか3日間の寄居滞在時間を確保。5件目の内見で、まずまずのものに出会え、4月17日に入居を済ませました。

住所を決め、住民票を新居に移した時点で、初めて正式な契約を結ぶことができたわけです。

振り返ってみれば、採用通知をいただいてから1ヶ月経っていませんね。

この間、一部の仕事はキャンセルさせていただいたりリスケさせていただいたりしました。ご理解いただけて感謝しております!

ちなみに、話の流れが急すぎたので、奥さんはまだ仕事のほうに区切りがつけられず、鎌倉に残っています。さすがに突然過ぎましたので。

ただ、退職の旨は伝えているとのことなので、数ヶ月以内には区切りがつけられるのではないでしょうか。

それまでは、単身赴任みたいな状態です。

そういえば、結婚した時も、事が急に進んだので、別居婚からのスタートになったのでした。

必要な物リスト

最近の僕は、新しく物を買うという経済活動があまり好きではないので、ちょっと手間ですが、中古品とか、どなたからギフトで極力回したいと思っています。

こちらのリンクには、必要な品々をリストアップしています。

新拠点稼動へのライブ感を味わうツールとしてもどうぞ(笑)

まとめ

寄居町に移住するきっかけとなった背景を振り返りました。

このとから学ばせられるのは、現実がどう見えようとも、そこには自分でも気づいていない価値があること。そして、時季が来れば、それまでの点と点が線になるように、事が動いていくということです。

2017年から始めたコーチングなどの活動を通じて、ソフト面というか、内面的な「移住」の支援をしてきたと思っています。生き方の移住です。例えば他人軸から自分軸へ、といったような。そこに、ハード面での移住支援も加わったというふうに見えています。

また、活動内容には創業支援というのも活動に含まれていますので、その点でも、今までの延長線上にある感覚があります。

こうして辿り着いてみれば、これまでの6~7年は、遠回りでは無く、必要なプロセスだった。ただ、流れのままに人生を選択してきましたが、点が線になるようなポイントに到達したような気分です。

是非、寄居に遊びに来てくださいね。

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移住についての想いを綴った記事です。

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