「使命」
以前の僕もそうでしたが、「使命とは、どこかに探しに行くもの」というニュアンスが、その言葉の裏にはあることが多いようです。
でもですよ。
使命というのは「自分になること」なんです!
自分の本来の姿を取り戻すことが、私たちに共通して与えられた使命です。
ありのままの自分になる
僕は、「使命とは自分になること」だとお伝えしています。
「自分らしく」「自然に」いること。深い自己認識を持っていること。
自分のデコボコを知っていて、無理にデコを削ろうとしたり、ボコを埋めようとしないで、ありのままの自分を受け入れている。
そのデコボコに喜びすら感じられたら大したものです。
この時に、私たちは「使命を生きている」と言えると思うのです。
というのも、私たちは、誰一人として同じ個性を持った人はいません。
これは、どんな思想を持っている方でも認めるところだと思います。
そうであれば、私たちが自分の本当の姿を取り戻すことができたら、競争や争いは不要な、平和な世界が出現します。
だって、誰もがユニークな存在なわけですから、そもそも誰かと争う必要が無い。
競争が起きる原因の一つは、一つの価値観を複数で取りに行くところにあります。
しかも、厄介なことに、その取りに行きたくなるような価値観というものは、時代によって簡単に変わってしまう。
時代に翻弄されると感じている方は、そういう時代によって変わってしまう価値観を追いかけているからかもしれません。
自分らしくあることで自分の存在意義が見えてくる
ここで扱う「使命」とは「存在意義」です。
「使命はどこかへ探しに行くもの」
その感覚を覚えるのは当然かもしれません。
自分が「使命を生きれていない」という印象を最初に持ってしまえば、そう考えてしまうのが自然です。僕も、最初はそうでした。
実際は、もっと自分の内側に入っていく感じ。同じ移動ですが、もっと垂直的な移動という体感覚があります。
自分が何を望むのか。どんなことに熱が入ってしまうのか。
どんなことに喜びを感じるのか。
逆に、避けたい気持ちにも気づいている。
明確な理由のハッキリしない、そういう自分の動きに目を向け、耳を傾けてみる。アンテナを張ってみる。
自分の内側は多層的な構造をしていることにも気づき、より中心に近いほう、純度の高いほうに重心を寄せていく。
そこに、自分の存在意義と言い表せるものがあるのです。
このプロセスは言葉にすると、難しく感じるかもしれません。
確かに時間のかかることもあります。
でも、私たちには、本質的に、この「中心に近づく」ことや「純度を高める」ほうへと向かっていく本能が備わっています。
これは、食べた物が消化され、全身を巡り、不要なものは排泄されるということくらい自然なことです。その機能のことをどれだけ信頼し、委ねることができるかのほうが大切になってきます。
まとめ
「自分の使命を生きる」ことは、何かになることではなく、「自分になる」ことであるということについて書きました。
自分を生きることは、周りの人々への大きなギフトになります。
まず気付いたあなたから始めてみませんか?
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