今回は、ある気づきを綴ることにしました。この気づきに至れて嬉しかったので記事にした次第。
「それができないなら、生きている意味が無い」
そのくらいに考えてしまう、僕の価値観の強さについてです。
きっかけは、あるエピソードからでした。登場人物は、友人Hと、共通の友人であるSの2人です。
Hから聞いたSの近況
ある日。Hから、共通の友人Sの近況の話題になった時のことです。聞いていたら、段々Sのことが心配になってしまいました。
友人Hから聞いた話題は、こんなものでした。
Sのパートナーさんの話題になったのでした。どうやら、Sと価値観が真逆なくらい違うように僕には見受けられたのです。これはHも同じような感覚を抱いている様子でした。
どちらかと言えば、Sの価値観に対して、パートナーさんは肯定的ではない印象を受けたのです。相手の価値観を、それはそれで大切にするというタイプではないみたいです。
だから、「このまま、上手くいくのかなぁ?」と心配になってしまったわけです。
価値観に沿っていないのは……という僕の価値観
でも、ちょっと待てよ、と。
これは僕個人のバイアスが強くかかってないか??
それで、逆に自分の価値観に気づかされました。
どうやら僕は、「自分の価値観に従って人生を選びたい」という衝動が人一倍強めなのです。
振り返れば、昔からそういう傾向が強いのです。それこそ、物心ついた頃から。しかも、僕のそれは、ちょっと(かなり?)個性的で、現代の多くの方とは毛色が違っています。
これが僕の人生に喜びをもたらしてもくれたし、悩みをもたらしてもくれました。それについては、また別のお話し。
今のパートナー選びも、僕の価値観に寄り添ってもらえることを前提にしていたところがありました。もちろん、それだけで全てが語れるわけではありませんけれども。
この価値観が僕をして、Sのことが心配だ、とさせた。これは、僕の価値観をSに勝手に反映させています。
SはSとして、最善の選択をしているはず。それを今は信じようという考えに至りました。
まとめ
自分の価値観に従って人生を選択したい。
しかも、それができないなら、生きている甲斐がないくらいに思っている。そんな自分の在り方に想いを馳せたことについて書きました。
もちろん、全てが思い通りになることもありません。実現に向けて試行錯誤できることができれば、それでいいんですけどね。時代が変わってきて、それが少しずつやり易くなっている実感もあります。
その一方で、実はSは、職場が合わずに調子を崩して退職したばかり。本調子ではない状態での、あのエピソードは、やはり心配になります。
コメント