僕のキーワードの一つに、阿蘇への移住があります。
でも、なんでまた阿蘇に移住したいの?
そんなふうに感じている方もいらっしゃるかもしれません。
自分自身の整理の意味も含め、僕の思い描いている理想について、綴っておくことにしました。
キーワードは「半農半X」
理想のライフスタイルを実現する。
それが、阿蘇でやりたいこと。
そのキーワードは「半農半X」。
好きなことを仕事としてやりながら、自分たちで田畑を耕し、食料は可能な限り自分たちで自給する、半自給のライフスタイルです。
もっと言えば、電力などのエネルギーも、できる限り自分たちで調達したいと考えています。
その上で、可能であれば、地元の木材を使って住む家をセルフビルドしたり、薪で調理したり暖をとったり。
排泄物や生ゴミは畑の肥料にしたりして、足元で循環させる。
経済も地域での循環を心がける。
そんなライフスタイルを実現するために、阿蘇(厳密には南阿蘇)が僕にとって最適な地だと見ているのです。
阿蘇との出会い
阿蘇との最初のご縁は、熊本の震災があった年の前年、2015年8月に、あるツアーで九州を巡った時が始まりです。
九州の色んな所を巡るものだったのですが、バスが阿蘇を通った時に感じたことが妙に心に残っていました。
その後、コーチングとの出会いが発生。
その以前から考えていた半農半Xのことも阿蘇のことも、どこかへ。
ところが、昨年(2019年)の夏に、ある体験から想いが再燃。
そしたら、その直後に、阿蘇で僕がやりたいようなライフスタイルを既に実現している方々とのご縁が繋がりました。道端でバッタリ出会ってしまうかのように。
そのあまりのスムーズさに、「阿蘇に呼ばれている!」とすら感じました。
実際に、昨年の秋と今年の2月にも阿蘇を訪問させていただき、どんどん繋がりが深まりつつあるのを感じています。
何より、水が美味しいし、何を食べても美味しいのが、食いしん坊の僕にとっては大きいです。
(完全に胃袋を掴まれた状態。笑)
経済的にも、ある意味で最強だと思う
半自給型のライフスタイルは、ある意味で経済的に最強だと考えています。
絶対に負けないというか。
そう、「成功しよう」とか「勝つ」とか、そういうスタンスではないんです。
皆さんも、ご年配の方などから、第二次大戦の体験談を聞いたことがあるかもしれません。
そこでよく語られるのは、疎開体験です。
でも、よくよく考えたら、疎開を受け入れた側の立場も存在するわけですよね。
つまり、戦争で経済も含め、何もかもが混乱しているさ中に、(内情は色々あったでしょうが)外からの人を受け入れられる余力のある立場の人たちがいたということ。
彼らのような存在になりたいのです。
それが僕にとっての究極の経済的自立。
仮に経済がデフォルトしても生きていける、文字通り「食っていける」ライフスタイルを築くことが目標なんです。
タブレットを持った縄文人
経済的なメリットはさておきとして、本質的に目指しているのはタブレットを持った縄文人になることです。
自然の循環を感じながら、自分と調和し、人々と調和し、自然や宇宙と調和していくような在り方。そこに、現代のテクノロジーが融合・統合したライフスタイルって、どんなものだろう?
それは、人類史上稀に見るような豊かさではないか、と思うわけです。
もちろん、どうなるかは分かりませんが、そんな想いを抱いています。
阿蘇で繋がった方々は、その辺りで僕と近いビジョンを描いている方々であったことも阿蘇に魅力を感じている点の一つです。
まとめ
阿蘇への移住を目指している背景について書きました
とは言いいつも、実際に阿蘇へ移住するかどうかは、どちらでも良いと思っています。
もしかしたら、別に、もっと自分にとって心地良い場所が見つかるかもしれませんし、このまま東京近辺に居続けるかもしれません。
要するに、そんなふうな余白を残しながら、事を進めています。
当面は関東を拠点にしていますので、引き続き、よろしくお願いします。
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