突然ですが、あなたの身近に「ヒデタケ」という名前の人は何人いますか?
決して、よくある名前ではありませんよね。
僕は、ヒデタケさんとの出会いで人生が大きく変わったのですが、そのヒデタケさんを紹介してくれたのも別のヒデタケさんでした。
今回は、その「ヒデタケ」にまつわる物語。
物語は10年前に遡る
一人目は、よく生きる研究所の榎本英剛さん(以下「ヒデさん」)。
もう一人は、かれこれ20年近くの付き合いになる友人・石丸偉丈さん(以下「タケさん」)です。
僕は、3年前の9月に、ヒデさんが開発した「天職創造セミナー」という不思議な名前のワークショップに参加させていただいてから、我ながらユニークな人生を歩み始めました。
冒頭にも書いた通り、そのワークショップのことを僕に教えてくれたのがタケさんでした。
今にして思うと、10年ほど前に抱いた予感が実現したんだなって思います。
バイトで苦境に立たされる
物語は10年前に始まります。その頃、僕はロンドンに語学留学をしていました。
あのリーマンショックの直後で、ポンドがかなり下落してはいたものの(僕にとっては、リーマンショックがプラスに働いたんです)、生活費の足しにしたいと、日本人が経営する現地の寿司屋でバイトを始めました。
皿洗いと、簡単な調理補助が僕のポジション。
そこで僕は、なかなか仕事が覚えられずに苦心していました。間が悪かったのです。
何をするにも、ワンテンポ遅れてしまう。
結果的に、言われないとできない人状態になっていました。
キッチンの板前さんの一人に、気の荒い方(以下、Aさん)がいて、僕の動きが緩慢だと、すぐに怒鳴ってきました。かなりの大声で。
お店は、客席の奥にキッチンがある構造でしたが、恐らく、客席のほうにも響いてたんじゃないかと思います。
僕自身は、HSPなこともあり、大きな声と、怒鳴られているということに委縮してしまい、緩慢さを改善することができないという悪循環を起こしていました。
つまり、毎回、怒鳴られていました。
「何で、他の社員さんは何も言わずに黙っているのだろう。」
たった一言のアドバイスで形勢逆転
そんなことを心の片隅に感じながら、解決策を見いだせない僕は次第に心をマヒさせていくしかできませんでした。
いつの日か、Aさんに怒鳴られても、まるで他人事のようになっていたと思います。
辛いとも感じなくなっていった。
そんな膠着状態が続く中で、唐突に状況が動きます。
数人いる板前さんの中で、一番接点の無かったある板前さん(以下、Bさん)が、フッと僕に耳打ちをしてきたんです。
「もっと〇〇を使ったら良いよ」
そのアドバイスに僕はハッとしました。
正に、そこを一番使ってなかったからです。
その直後から、我ながら劇的に自分の動きが変わりました。
どうしても仕事がワンテンポ遅れがちだったのが、逆に2歩3歩先読みして動けるようになったんです。
まるでフロー状態。
その後、僕を連日怒鳴っていたAさんに怒鳴られることも無くなり、気が付いたら、一番、僕に話しかけてくれ、可愛がってくれる方になっていました。
その人なりに、僕のことを気にかけてくれていたのだと、今だから分かります。
帰国の時に予感した
その、僕に見事なアドバイスをしてくれたBさん。彼が、2人のヒデタケの一人、タケさんと風貌や雰囲気が似ていたんです。
気の強い姉さん女房がいる恐妻家であるところまで共通していました。
(なんて書いたら、タケさんに怒られるかな?笑 今のタケさんは、新たなパートナーと、むしろフラットな関係を築いています。)
その後、僕自身の帰国が決まり、バイトも辞めることになった時、それまでの日々を思い出して、僕は一つの予感を抱きました。
「帰国後の人生は、もしかしたら、タケさんが僕の運命を変えるキーパーソンになるのかも」
この直感が当たることになったのです。
ヒデタケがヒデタケを繋いでくれた
その帰国から約6年後、僕の離婚を期に、東京の西にある、くにたちという街のタケさんが住むシェアハウスに僕も入居することになります。タイミング良く空室が出てくれて。
翌年のある日のことです。
僕が共有のキッチンで寛いでいたところに、タケさんがフラッとやって来て、1冊の本を、僕に合っているんじゃないかって紹介してくれました。
それが、もう一人のヒデタケであるヒデさんの本でした。
タケさんの仕事の関係で、ヒデさんと知り合う機会があったことがきっかけだったそうです。
そうしたご縁で参加したのが、冒頭に書いた「天職創造セミナー」です。
そこでの気付きが、僕をして会社員を辞め、コーチングを軸とした生き方へとシフトするきっかけとなりました。
奥多摩への移住の時も、実は凄い葛藤を味わっていましたが、そこでも、ヒデさんの発信に背中を押される形になりました。
(ヒデさんにしてみれば、特に僕に向けて発信したわけではもちろんないですが。)
もしヒデさんがいなければ…という想像も容易についてしまいます。そして、今に至るまで、ヒデさんの発信は、僕にインスピレーションを与え続けてくれています。
こうして、10年前の予感は成就したのでした。
参考リンク
▼ヒデさんのウェブサイト
まとめ
僕の身近にヒデタケという、珍しい名前の人物が2人います。
その2人が2人とも、僕の人生にトップクラスで影響を与えてくれています。それにまつわる物語を書いてみました。
ちなみに、タケさんも、ある種の同志としての繋がり、関わりがあります。その内容については、このブログの主旨とは
異なるので割愛します。
でも、彼を頼って、くにたちに引っ越してからコーチングとは別軸で広がっている仲間は、ヒデさんから得ているインスピレーションを補完してくれる人々ばかり。
しかし、同じ名前なのに、ニックネームが違うというのは面白い。この記事を書く上でも、とても助かりました笑
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