今日、2021年7月1日で、僕らテツ・トモは結婚1周年を迎えることとなりました!!
パチパチパチ!
別居婚からのスタートでしたが、今年の4月からともちゃんのほうが鎌倉に移住してきて、だいぶ、それらしい形になってきました。
ともちゃんを温かく迎え入れてくれている皆さんの優しさには、感謝しても、し尽くせません。
▼別居婚からのスタートとなった経緯は、コチラのnoteのほうにも詳しく綴っていますので、併せて読んでみてください。
この記事は、上のnoteの続報的なものになります。
是非、最後までお付き合いください!
真夜中の電話から驚きの展開へ
それは、4月中頃、妻のともちゃんが鎌倉に移住してきて10日ほど経ったある日のことでした。
明け方。
うっすらと目が覚めた僕は、横で寝ている妻のともちゃんが寝苦しそうにしているのに気づきました。
「そういえば、夜中にトイレで目が覚めた時、誰かと電話してたな……」
あんな夜中に話ができる相手。
しかも、話ぶりから、かなり近しい関係であることが伺えました。
そんな関係の人がいたの知らなかったな。
そんなことを思い出しながら、起こしてしまうのも逆に良くないと考え、そのまま僕も眠りに戻りました。
翌日。
明け方、寝苦しそうにしていたけど大丈夫?
そんな感じで僕のほうから話を切り出しました。
「実は、夕べは息子と話してたの」と、話し始めてくれました。
子供たちが前触れもなく、「自分たちは、八王子に残りたい」と言い始めて、ショックを受けているというのです。
上述のnoteの最後に少し書いていますが、それまでの僕らの考えていたプランがガラッと変わってしまう話です。
鎌倉(近辺)で家かアパートを借り、そこに子供たち2人を呼び寄せて、4人(と猫2匹)で暮らそうというプランを立てていました。
それに子供たちも同意していました。
それが、ともちゃんが一足先に鎌倉に移住して僅か10日ほどで、「やっぱり今の八王子に……」となったのです。
このことは、ともちゃんにとって、もう一つの意味をなしていました。
子供たちによる親離れ宣言です。
同時に、僕が父親ロールをするということも消えました。
ともちゃんとのお付き合いが始まった頃、彼女がこんかことを言っていたのを思い出しました。
「もう少し母親の役割も続けたい(続ける必要がある)」
彼女の子は今年22歳(男)と20歳(女)です。
(僕と再婚するまで、十数年間シングルマザーでした)
上の子はフリーターみたいな状態。下の子は専門学校に通っています。
まだ少し、親離れするには早いと考えていたのに、思わぬ現実を突きつけられてしまったわけです。
そりゃ、眠れなくなるわな。
これはちょっと余談ですけど、お付き合いいただけたら嬉しいです。
「親離れ」「子離れ」という言い回しって、あまり良くないんじゃないかと、この件で感じました。
「離」という言葉が入っているせいか、そのままでいると、「分離」とか「分断」という質感をイメージしてしまいます。
親と、子と、切り離さなければならない! みたいな。
実際は、こういうのって「卒業」とか「完了」という質感のものですよね。
それが、単にゴール設定を謝ったただけなのに、何年も苦しい思いをしなければならない、なんてことも、ままあるんじゃないか。
そう感じたわけです。
(そういう苦しさの体験も、本質的には価値のある体験ではあるのですが)
子供たちの想い
子供たちが八王子に残るという決意に至った背景は大きく二つあったということです。
- (お母さんには)結婚生活を堪能してほしい
- 自分たちだけで何とかなると手応えを得た
それぞれをもう少し掘り下げますね。
結婚生活を堪能してほしい
これは、もう、このまんまです。
泣かせる〜!!
彼らなりに、母親の変化を感じているのかもしれません。僕の立場では分からないような変化を。
自分たちだけで何とかなる手応え
当初、子供たちは、自分たちだけで暮らすことに抵抗感を覚えていました。
きょうだいで性別も違いますしね。
ところが、実際に母親がいない生活を1週間、10日と続けていくうちに、「意外と何とかなる」と実感できたようです。
実際、鎌倉に移住することになれば、仕事を辞めなければならなくなるし、学校に通うのにも遠くなります。
その辺りと天秤に掛けたりもしたかもしれません。
今後の方向性の変更
要するに、子供たちの自立が、このタイミングとなった
そのことで、冒頭でご紹介したnoteを綴った時点とは状況が大きく変わったことがお分かりいただけると思います。
思っていたことが前倒しで手を付けられる可能性が出てきました。
これまでの記事で何度となく触れてきていますが、自然豊かな場所(今は南阿蘇を意図しています)に拠点を移すこと。そして、そこで畑を耕したりしながら、半自給生活(半農半X)のライフスタイルに切り替えることです。
この辺りについて、詳しくは関連記事を後ほどご紹介します。
当初は2〜3年後に子供たちの自立が想定されていたので、その後に動き始めよう思っていたことがあります。それに、何なら今からでも手をつけられる状態になっているわけです。同時に、もう少し鎌倉に拠点を置くべしという流れも感じています。
2022年の大河ドラマの舞台が鎌倉ですよね。それを控えたこのタイミングで僕(たち)が鎌倉に拠点を置いているのも、偶然では無いと感じます。
もう少し、風を読みながら、タイミングを見定めたいと思います。
突然、引っ越してしまうこともあるかもしれませんが(笑)
大河ドラマのようなもので舞台として選ばれること、そしてそれが、そのタイミングであることは偶然ではありません。甲子園で活躍する学校などもそうです。
その地元地域自体に勢いがあるというサインでもあるのです。
関連記事
▼「天給皆足」は僕の造語で、農的ライフスタイルの指針です。
▼僕が何故、南阿蘇への移住を意図しているかを綴りました。
まとめ
結婚(再婚)1周年のご挨拶と、最近の状況の変化についてのご報告でした。
子離れすることになって、ともちゃんは、結局、2週間近く落ち込んでいたというのが、側で見ていた僕の印象です。
そりゃそうですよね。
まだ2〜3年は先のことになると思っていましたから。
そうは言っても、今はもう気を持ち直しています。今後については流動的な要素も多分にあるとは言え、今しばらくは鎌倉がメインの拠点になりそうです。
鎌倉のテツトモを引き続きよろしくお願いします!
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