それは2020年の春のある日のこと。
実家で、親と一緒に食事をしている時でした。
僕は、一見ありふれた光景の中に、奇妙な違和感を覚えます。
今回は、そんな違和感が与えてくれた、今の結婚相手との間で交わした結婚生活のビジョンについて綴ります。
最後まで、お付き合いください!
退屈なはずが新鮮
僕は、もう5、6年ほど前からテレビを持たない生活になっていますが、70歳を越える両親は、テレビがないと落ち着かないようです(あと、朝のコーヒーも)。
在宅時は、ずっとテレビがついています。
一緒に食事をすることになると、当然、僕も一緒にテレビを視ることになります。
そんな両親が欠かさず視ている番組の一つに、あの笑点があります。
最近は、昔のものをアーカイブのようにまとめて、連日放映しているそうです。
奇妙な違和感を覚えたその時、笑点が放送されていました。
笑点は、1966年から続いている、伝説的長寿番組です。
メンバーの入れ替わりこそあましたが、その内容というか雰囲気というか、そういったものは、昭和の時代から殆ど変わっていない印象です。
敢えて言わせてもらえば退屈な番組。そういう印象でした。
「あれ、何だろう、この感じ? 今までに無い新鮮な何かがある……」
相変わらず、メンバー同士、面白おかしく好き放題言い合っている姿。
そこに何かホッとするような、暖かいものに包まれるような感覚があるのです。
これは、明らかに「退屈」とは別の感覚です。
後から考えれば、最初の緊急事態宣言が出ていたタイミングであったことも影響したかもしれません。
突如として、すっかり変わってしまった日常。
「緊急事態」がもたらす緊張感。
自分で思っていた以上に心が疲弊していたのでしょう。
だから、昔と変わらない番組の空気に、心がほぐれた瞬間だったのかもしれません。
共通のビジョンを持とう
その年の夏、縁あって、お付き合いしていた方と結婚しました。
バツイチ同士の結婚です。
後ほど、詳しく触れますが、お互いに、過去の苦い経験を生かして、関係作りを大切にしようと考えてはいました。
でも、今一つ噛み合わせの良くないものを味わっていたのです。
ちょっとした一言にムッとしてしまったり、悲しさが湧き上がってきたり。
そうなると必ず微妙な空気が漂います。
お互いの生き方が違いましたらから、当然といえば当然です。
このままでは、前回の教訓が生かせない……
危機感を覚えた僕らは、話し合いを始めました。
時には専門家の方にも入っていただきました。
話し合いをする中で、「夫婦関係のビジョン」を明確にしてみよう、というアイデアが出ました。
大喜利のように
ああでもない。
こうでもない。
喧々諤々……とまではいかなかったものの、右往左往する感覚を味わいながら話し合いは進みました。
二人に共通してあったのは「言いたいことが言い合える関係でありたい」ことでした。
相手への不平不満のようにネガティブな事柄ですら、フラットに言い合える関係であること。
お互い、前回の失敗の反省から出てきています。
言いたいことをフラットに言わずに(言えずに)呑み込む。
呑み込んだ理由は、もしかしたら相手への気遣いだったかもしれません。
でも、そんなことをしても、残念ながら無くなるわけではありません。
溜まったものが思わぬタイミングで爆発してしまったり、時には無意識の態度から伝わってしまい、返って相手に歪んだ形で伝わってしまうことも。
要は上手く機能しませんでした。そんな過去からの反省です。
そうは言うものの、「言いたいことが言い合える関係でありたい」という言葉を前にすると、何か身構えてしまう。
そんな堅苦しいものにしたいわけではないよね
何か、もっとリラックスした感じで表現できないものかな
であれば、ユーモアを交えたものがいい
笑点の大喜利のようにね
あ、それ何か良い感じしない?
どこかで春先の体験が残っていたのでしょう。
こんな案が出てきて、妙に二人で納得。それが採用される形になりました。
これが、とてもパワフルに作用してくれています。
改めて見る笑点の魅力
笑点の凄いと思うところ。
出演メンバーは、言うまでもなく落語家さん達です。
落語は笑いやユーモアを大切にする日本の伝統芸能。
そんなプロ集団ですから、面白くないことをすれば「面白くない」と、まさしく公衆の面前でハッキリ言います。
そういう、下手をすれば、とてもシリアスな場面になりそうなものを、うまい具合にユーモアに変えて表現する。
時には切り返すこともあります。それもユーモアに切り替えて。
その辺りの匙加減は流石です。
もっと言えば、自分の情けない姿すら安心して曝け出せるという、お互いの信頼感に繋がっているとも分析しています。
老いによる衰え。
センスの無さ。
そういったこと揶揄する形で笑いに変えてしまう。
これは何よりも、お互いに深い信頼関係、一人ひとりの能力とは無関係な、人としてのリスペクトがあるからこそできることだと思うのです。
また、心理的な繋がりも感じられているのでしょう。
伝説的な長寿番組になれた背景には、こういった信頼や繋がりがメンバーの間であったことかもしれません。
あくまで、こちらの勝手な想像の分析ですが、そういうものとして使わせていただくことにしました。
笑点の魅力が最も溢れ出る大喜利のコーナー。
笑点イコール大喜利とも言えるくらいの本命コーナーです。
あそこでのメンバー同士のやり取りや関係性のように、ムッとすることなどがあったとしても、笑いやユーモアを優先する。
それが、僕たち夫婦のビジョンとなりました。
以来、相手のちょっとした一言にムッとするようなことがあっても、ふと心の中で「笑点」という言葉が浮かんでくるようになりました。
そして、何とかその場をユーモアに切り替えようという意思が働くのです。
こうして、どうにかこうにか笑いの方向に切り替えることで乗り越える。
そんなことを繰り返していて気づいたことがあります。
結局は、ムッとしてしまうなどの反応よりも、そのことを後々まで引きずってしまうことのほうが問題となっていたのです。
引きずらずに済ませることができれば、言葉の行き違いはあったにせよ、後に残ることにはなりません。
こうして今、「笑点の大喜利のように」というビジョンを決めて半年以上が経ちました。
最近は、僕らのやりとりを見た友人から、「夫婦漫才みたい!」とツッコミが入ることも増えてきました。
「そうかい?」とトボけながらも、「ビジョンが実を結び始めているんだなぁ」と感じる瞬間でもあります。
まとめ
世界を平和にする第一歩は家庭から。家庭を平和にする第一歩は夫婦関係から。
僕は、そう考えています。
夫婦・家庭から始まり、地域が、社会が、国が、と広がっていけばと願っています。
そのための第一歩としての自分達としての取り組みをご紹介しました。
この方法が、どのご夫婦、カップルにも通用するとは思いませんので、それぞれに相応しいものを見出す必要はあるかと思います。
また、僕たちも、アップデートが必要なタイミングが訪れるかもしれません。
ただ、どうせ夫婦やカップルになるのであれば、こういった工夫をして、より平和な世界を形作るピースの一つになるというのを試みてみるだけたらと願っています。
ところで、すっかり笑点にリスペクトの僕たちですが、引き続きテレビを持つつもりは無いので、実際に番組を視ることは、今後も殆どありそうも無いのですが……。
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