このブログではもちろんのことですが、SNSにすら呟かなかったのですが、8月の後半から1ヶ月半くらいの間、体調を崩していました。
日常生活には大きな支障があったわけではないのですけど、とても大きなストレスを感じていました。
過ぎてみれば、とても大切なことが進行していて、そのことが体調不良として出ていたんだなと見えてきています。
今回は、そこから抜けるまでのプロセスを綴っていきたいと思います。
結論は、瞑想は大事!です。
プロセスの始まり
変化は、8月の中旬から始まりました。小布施旅行から帰ってきた直後のことです。
何だか体調が芳しくない。
最初は、旅行の疲れだと思っていました。
小布施へは、お盆休み真っ只中というタイミングだったため、かなり移動に手こずり、かなり消耗したからです。
そんな関係で、数日の間、ゆっくりと過ごせば落ち着くだろう。
そう考えていました。
ところが、次第にただの疲れでは説明がつかない感触が出て来ます。
食欲がガクッと落ちたのです。
いや、食欲自体は比較的普通にある。
でも、食べるとすぐに胃がもたれる上に、毎日のようにお腹を下してしまう。
口にできるのはフルーツや麺類くらい。食事の回数も、日に2食が限界という感じ。
体の声を聴くように心掛けて見ると、体からは「食べて欲しくない」という声が。
だから、体に「ごめんね」と言いながら細々と食べてました。
体調不良が不安を巻き起こす
食べるのが大好きで、よく食べる僕。
そんな体調が続くので、日増しに不安や恐怖が襲いかかってきます。
HSP気質があるからかもしれませんが、僕には、不安が心のどこかにいつも居座っている性質があります。それが心に重くのし掛かってきました。
特に大きく出てきたのは「死の恐怖」です。
「きっと大病を患っているんじゃないか」
40代の半ばでガンで亡くなった中学生時代の恩師の顔が思い浮かんできて、「今の自分も、ちょうどその年頃じゃないか」などと。
不安を取り除くのではなく共存する意識で
そこからは不安との戦いの日々でした。
いや、正確には、「どう共存するか」でした。
だって、冷静に考えれば、不安に何の根拠も無いワケで。
でも、不安が湧き上がってきてザワザワするということは、どんなに冷静になっても治まりません。
そして、相変わらず内臓の調子が悪い。
だから、不安が湧き上がってきたら、それをできるだけ客観視する。
「ああ、今、不安が出てきているなぁ」と。
正直、渦中では手応えはありませんでしたが、練習していると思って、客観視をすることに取り組みました。
たまたま手に取った本が支えてくれた
先日、『少食が健康の原点』の書評ブログを書きましたが、これを読んだのは、この状況に入り始めた頃でした。最初は、積読状態だったので、処分しようと思って手に取ったんです。
でも何故か「読みたい!」という気持ちが湧いてきるので、それに興味を感じて読み始めたのがきっかけでした。
それが、結局は、日々、食が細っていく自分を精神的に支えてくれました。
満月と新月の日に断食をして内臓を休ませてあげるようにしていますが、それも、この本がきっかけです。
突然起きたブレイクスルー
そんな形で、内面的には一進一退。
ブログを綴ったり、ワークショップの企画などにも、あまり手が付けられない日々が続いていました。
(この頃の僕が企画するイベントが減ったことに 気付いていた方もいらっしゃると思います。)
この状況になってから1ヶ月近く経ったある朝、突然、ブレイクスルーが起きます。
基本的に、毎朝、瞑想をしています。その瞑想中に、突如、自分の違和感の原因がハッキリしたのです。
不安に流されて、いわゆる「今ここ」に自分がいない、ということが突如、自覚できたのです。
感覚としては、自分の中で、大きなズレが起きていることが見えたんです。
(つまり、不安などといった感情は、このズレが原因で起きていて、「今ここ」にいるだけで、ほぼゼロに近くなるということに気づいたとも言えます。)
その時、取り組んでいた瞑想も、今ここを感じるための瞑想でしたから、その部分を強く意識して、自分の中にあったズレを少々強引な感じで引き戻すようなことをしました。
グイッと。
感覚的にですけどね。
それが上手く働き、全てが楽になっていきましたし、内面的にも、以前とは違う意識レベルに変わった感覚がありました。(=生きること自体が楽になった)
まとめ
体調を崩すことを経て、自分で言うのもアレですが、大きな脱皮が起きたなと感じています。
そのキーとなるのが瞑想でしたので、やっぱり瞑想は重要だということについて書きました。
普段から瞑想していた日々の積み重ねが、ここで活きたな〜と。
ある意味、瞑想は、こういう時のための準備でしかないのかもしれません。
このプロセスでの変化が、誕生日の記事に書いたような新しい流れに繋がったんだなとも感じています。
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