まさか、このタイミングになるとは。僕は、まるでシンクロニシティに出会った時のような感慨に浸っていました。
ほんの数日前に「電波を減らせ」という記事をアップしたばかりだったからです。僕はHSP(繊細さん)体質です。そのためか、Wi-Fiなどの電波が身の回りにあるか無いかで、明らかに体調に違いが出てくるところがあります。「電波を減らせ」の記事では、そこから見出した、体調管理のノウハウ的なものをご紹介しました。
なぜ、そんな感慨に浸ることになったのか。
僕自身が、現代ではあり得ないほど電波の少ない場所に行ってきたからです。それが、図らずも先程の記事をアップした数日後になったというタイミングの妙に感じ入っていたのでした。
それでは、何があったのか。具体的に見に行ってみましょう。
電波も無ければ電気すら無い
結論的なところを先にお伝えすると、友人の新居を訪ねてきたのです。
友人は、僕と同様、都会を離れ、自然との繋がりの中で暮らしていくことを望んでいました。そんな中、縁あって千葉のほうで、築100年以上になろうかという古民家を借りられることになったということでした。そのロケーションが人里から離れた山間部にあり、ケータイの電波が届かない場所にあったのです。
そこは2019年の台風で送電設備の故障や雨漏りなどが発生。それをきっかけに、元の家主さんは都市部のほうへ引っ越してしまい、約2年に亘って放置されていた建物でした。
「せっかくケータイの電波も届かないし」ということで、その友人は電気もガスも無い生活をしてみようと考えているそうです。
ただ、放置されていたこともあり、すぐにそこで暮らすのは難しい状況でした。そこで、今は、定期的に千葉のほうに滞在して、片付けや建物の補修などをしているということでした。
僕は、その片付けを手伝うという名目で、そこを訪ねたのでした。
それは同時に、電波も無ければ蛍光灯などの人工的な明かりすら無い。そんな所に滞在させてもらうという、現代の日本では、なかなかできない体験をさせてもらえたということでもありました。
朝から廃材や山から拾ってきた落ち枝を薪にして火を起こし、調理は全てその火でやります。水も、近くの沢からサイフォン的な仕組みで汲み上げたものを使います。日が沈めば、灯油ランプや蝋燭の明かりですごし、20時前後には就寝。そんな生活でした。
そんな状況なので、僕のケータイの電源は、ほぼずっとオフ。写真を撮りたい時だけ電源を入れるくらい。2泊3日の滞在でしたが、一度も充電する必要に迫られずに帰ってこれました。
それは、仕事と生きるが直結した時間に感じられました。
価値観のタイムカプセル
さて、ここでは少し趣の違うことを書かせてください。
やはり、その千葉での滞在のことです。そこで、新旧の社会的な価値観の変貌ぶりを目の当たりにさせてもらえました。タイムカプセルを開いたかのように。
こういう田舎あるあるなのでしょうか。この古民家の元の家主の方は、不要になった物やゴミなどを、庭先にポイっと捨てていたのです。中には洗濯機やシンクのような大型の物までありました。
目を転ずると、30年くらい前の新聞や雑誌、空き缶や空き瓶なども転がっています。
それらを片付けることも、友人が暮らし始める準備として大切なプロセスでした。僕は、特別、こういう場所で暮らせるスキルはまだ無いので、こういったゴミを集めることに多くの時間を割きました。
その量は「空き缶や空き瓶なども転がっていた」と書きましたが、その量はどんでもない量でした。空き缶だけで45リットルのゴミ袋が、あっという間に何袋も一杯になってしまう量がありました。
土の中に埋もれて朽ちた空き缶、木の根がボトルを掴んでいたり、錆びた乾電池が裸の状態で出てきたり。なかなかショッキングな場面が続き、怒りが込み上げてきそうになったり、同時に気が滅入ってしまいそうでした。
時代の価値観の違いだ
ゴミを拾い続けているうちに、「あー、誰も悪くないんだ」という気づきがありました。
元の家主さんは、もしかしたら、片付けができないタイプでもあったのかもしれませんが、友人の話によると団塊の世代の方だろうということでした。その方が生きた時代は高度経済成長期。大量生産大量消費が良しとされていた時代でした。次々に新しい品を買ってくることが当たり前の時代だったのです。
しかも、土地柄でしょうか。それ以前の、何でも土に埋めれば大丈夫という価値観の名残りも感じられました。自然の物は、腐ってくれますから、なんでも、その辺に放ってしまっても良かった。そんな一時代、二時代前の価値観が、そのゴミの山を作っていたのです。
現代は、そのことを通じて、大切な教訓を学んだステージにいるのであって、だからこそ違和感を感じているだけじゃないか。元の家主の方も、別に悪意があってやったいたわけではないし、今のような環境問題になることは想定が難しかった時代を生きていたのです。
ただ、現代となっては、言ってみれば負の遺産状態であるのは間違いありません。そこは、やはり片付ける必要があります。僕ら(から下)の世代が、この部分に関して後始末をしなければならないのは、ある意味で必然なのでしょう。
例えとしてあまり良くありませんが、親などを見送って、その後の事務処理などは、残された家族が担わなければならないのと似ています。同時に、これは時代の価値観が変わったということの証明でもあります。
そう考えが巡ってくると、段々と「大切なことをさせてもらっている」と気持ちが変化していきました。
もし、僕がもっと早く生まれていたら。こうやってゴミを大量に生み出していたかもしれませんし、現に今、次の世代から見れば負の遺産となるものを、どんどん生み出している可能性だって大いに有り得ますから。
怒るというのは、単に現代という価値観から照らしてのこと。これだって、数十年後には間違いとなっている可能性だってあります。だから、誰も悪くないのです。
まとめ
千葉に移住を決めた友人の、新しい拠点の片付けの手伝いをして、電波がない生活を体験してきました。また、30年前のタイムカプセルにも触れさせてもらえて、思うところ、感ずるところも書かせていただきました。
なかなかに慌ただしかったので、電波が無いという状況を、十分に満喫できたのかは判断の分かれるところです。でも、少なくとも僕の移住先のイメージが更に固まったのは間違いありません。
それに、友人の選んだ物件の条件は、友人自身が、これまで体験・経験してきたことがあるからこそ、ご縁が繋がったということを肌で感じました。それは、僕自身の移住先にも反映されることでしょう。
これまで、九州の阿蘇や山梨の道志などを僕の移住先の候補として挙げてきましたが、今回訪ねた地域は、そことは違ったインパクトで候補に上がってきました。阿蘇や道志のように、「ここがいい」と感じるというより、「あれ、もしかして?」という、言葉にはしづらい不思議な感覚です。
とは言いつつ、まだ候補地探しの段階なので、流れを見定めながらタイミングを図ってみたいと考えています。
あと、お土産に買ってきたお菓子や地ビールなどが、どれもドンピシャで好みの味だったことも付け加えておくことにします(笑)
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