世間には、タイプ診断的なものは多種多様に存在します。
伝統的には星占いや算命学など。近代ではストレングスファインダーなどが挙げられます。
今回、ご紹介させていただくのは、『ザ・メンタルモデル』です。
この本は2019年の終わり読んだのですが、この1年で読んだ本の中でも、トップクラスのインパクトと変容をもたらしてくれた1冊。
冒頭に挙げたものと、一見似ているようでいて、全く違った深みを持ったテクノロジーです。
僕にとって、どんなインパクトだったのか。そして、その累計はどんなものになるのかもシンプルにお伝えします。
では、いってみましょう!
人間関係の不本意な現実を扱い易く
この本は、本書のタイトルにもなっているメンタルモデルは、著者のお一人である由佐さんが、15年以上の歳月と1,000人を超える方々と向き合う中で構築されたものだそうです。
端的には「(このモデルを理解することによって)人間関係に生じる不本意な現実が扱いやすくなる」ためのガイドブックです。
読み終えた今、そのことを身を以て実感して、結果、人間関係が楽になったと感じています。
よくぞ、ここまで言語化したものだ!
と舌を巻くクオリティです。
その智慧を取り入れることで、目の前の相手がやっている言動の背景を理解し易くなります。
要はコミュニケーションが楽になり、人間関係のストレスが軽減する。
僕の仕事柄、言葉や態度の裏にある、その人の本当の願いにアプローチする機会が多いのですが、それが格段にやり易くなりました。
目の前の方の心に繋がりやすくなった感覚。
これは自分自身に対しても同じです。このことが一番強調したいことかも!
自己認識が広がって、より楽に生きられるようになりました。
過去の辛い体験や、心がザワつく僕のパターンがあるのですが、その背景をより深く理解でき、今まで以上に深く自分に寄り添うことができるようになります。
それと同時に、自分の生き方の指針がより明確になってもいますので、内側でも外側でも変化があったわけです。
「人間関係に生じる不本意な現実」の「人間関係」とは、自分自身との関係も含まれるわけです。
なぜ扱い易くなるか
さて、ここから解説的になってきます。
前項が、ある意味、本記事の要点です。
僕なりに、何故、(自分自身も含めた)人間関係が楽になったのか、少し紐解いてみます。
表面に見えている苦しみや違和感など。
その背後にあるのは心の傷。
過去の辛い体験などに起因します。
インナーチャイルドなどが知られていますので、心のケアに関心がある方であれば、どなたでも、イメージはできるのではないでしょうか。
その辛い体験からくる「痛み」。
それを無意識の内に避けようとした結果、なんとも皮肉なことに、避けたかったはず不本意な現実が目の前に展開してしまう。
この本を通じて気付かされるのは、その傷が形成されるのには理由があったということです。
同じ出来事でも、それで傷つく人もいれば、全く気にならない人もいます。それと同じなんですが、その背後に「魂の願い」とでも言えるようなものが誰の中にもある。
それがあるからこそ、「それが叶わなかった」という事実が、心に傷として刻まれる。
裏を返すと、心の傷には目的があったとなります。
心の「痛み」そのものが、その「願い」をこちらに伝えてくれているメッセージなのだと。
それが見えれば、例え出来事としてはネガテイブであっても、それをそのままネガティブなものとして受け取る必要がなくなる。
それが不本意な現実が扱い易くなるメカニズムではないでしょうか。
心理学では「心の傷」を「シャドウ」と呼んだりしますよね。正に魂の持つ「願い」という光による影だったのですね。
メンタルモデルでは、その願いを4つに類型化することに成功しているのです。
続いて、そのメンタルモデルの分類についてご紹介します。
本書の構成
本書は大きく、2部構成になっています。
前半は、共著者である天外さんの主催するセミナーに、由佐さんが登壇した際の実録。
ライブ感を大切にしていて、文章にすると少々回りくどかったりするところも、敢えてそのままにして、そこを天外さんが補足している形を採っています。
後半は、由佐さん書き下ろしによるパートで、メンタルモデルの概説になります。
個人的には、後半から読み始めるのもアリ。
なお、本書の中でも何度も述べられてますが、タイプ分けが重要なのではなく、あくまで自己理解を深めることに主眼が置かれるべきものになります。
4つの類型
メンタルモデルは、4つのモデルに類型化されています。
- ひとりぼっちモデル
- 欠損欠陥モデル
- 愛なしモデル
- 価値なしモデル
各モデルに、それぞれ克服型と逃避型の2つのタイプが存在しています。
この理論の素晴らしいところは、各モデルに、それぞれ発達段階があるということです。
各モデルで4象限の水平的な座標を、発達段階でその垂直の移動を表しているんです。
この立体感が、何とも美しいと感じます。
だいぶマニアック笑
全ての方に当てはまるのかは分かりませんが、このように一定の類型化をすることで、自分自身の立ち位置を把握し、次のアクションがより効果的・効率的にできます。
コーチのような対人支援をする側にとっては、クライアントの支援の指標となるわけです。
陥りがちなのは、2歩も3歩も先のことに取り組もうとしていたり、本来は垂直の移動を意図すべきなのに水平の移動を意図してしまうなどして、「上手くいかない」と苦しんでしまうこと。(僕も、さんざんやりました…)
次項から、各モデルの傾向と、起こしがちな不本意な現実について。
そして、それぞれのモデルが魂の願いや創り出したい現実について大まかに解説します。
メンタルモデルは、この世界にあるはずだった何かが「ない」という人間のこの世界の体験の中にあった欠損の痛みが言語化されたもので、生存適合OSは、その痛みを回避して生きることを目的に生存本能が創り出した現実創造のメカニズムです。したがって、それぞれのメンタルモデルには、何がこの世界に「ない」のかという固定化された世界における欠損の「痛み」と、何がこの世界に「あるはず」なのかというその痛みの裏に、あるはずだと信じていた世界を創造することへの「情熱」が表裏一体で存在しています。
P191より
価値なしモデル〜私には(こんなにやっても)価値がない
このモデルは「他の人に価値を出せなかったら自分はここにいる存在価値はない」というような生存適合OSがあり、勢い、常に努力しているタイプが多く、従って能力も高い傾向があります。
その分、「止まったらお終い」みたいな思考が働きやすく、疲労による怪我や病気などのリスクがあります。
創り出したい世界は、いのちは(ありのままで)価値があるという認識が浸透している世界です。
愛なしモデル〜私は(こんなにやっても)愛されない
このモデルは、「自分が求める愛はなく、自分が望む形で愛してもらえない」という生存適合OSがあります。
そのため、(自分が愛してもらえるように)自己犠牲的にひたすら相手に奉仕するパターンを起こしやすいタイプ。
いつも奉仕しているので、一番疲弊しているタイプかもしれません。
創り出したい世界は、この世界には愛しかないということ。愛は与えるから与えられるという取引のようなものではなく、出来事としてポジティブなことにもネガティブなものであっても、その背後には必ず愛があるということが証明されていく世界です。
ひとりぼっちモデル〜私は所詮ひとりぼっちだ
このモデルは、「『分離の痛み』を抱えていて、所詮つながりは断たれる、人は離れていくものだ、という割り切りの感覚と、どうせこの世界ではひとりで生きているんだ」という独特な孤独感を抱えた適者生存OSを持っています。
パイオニア的な存在になることが多いタイプ。
側から見ると、どんどん人生を切り開いていくようなところがあり、強く見えます。実際、孤独をものともしなかったり、所属するのを好まないという傾向もありますが、その裏には、とても深い孤独感を抱えています。
創り出したい世界は、個としての独立と、生命としてひとつにつながっている、所謂ワンネスが矛盾しない世界へとつなげること。
分離から統合へのプロセスを引き起こすことです。
欠損欠陥モデル〜私には何かが決定的に欠けている
このモデルは、「自分という存在そのものに決定的に欠けているものがある」という適者生存OSがあります。
自分には決定的に補えない欠陥を持って生まれてきたという、存在そのものに欠けているという信念を持っています。
そのため、控えめで自ら表に立つことは好まず、影のサポート役に徹する傾向があります。
創り出したい世界は、自分は凸凹があっても完璧であり、ありのままの、存在そのものを認知すること。どこにいても居場所として感じられる安心が得られる世界です。
発達段階
本書では、その人の意識の発達段階を「ライフ・タペストリー」と名付けています。
それぞれの段階を次のように呼んでいます。
適合期
▼
直面期
▼
自己統合期
▼
体現期
▼
自己表現期
詳細は省きますが、全体としては、何らかの「痛み」(適者生存OS)が生じ、痛みへの恐れから無自覚に触れないようにする段階に始まり、段階を経ながら、自分の本当に創り出したい世界を体現し、創り出すようになっていきます。
全体的な流れは、概ね一致しているそうですが、全員が全員、自己表現期まで至れるわけではなく、それこそ適合期のまま一生を終えるということも決して珍しくはないようです。
余談ですが、この発達段階の進み具合と社会的地位は必ずしも一致しません。適合期であっても社会的には高い地位に上がることは可能です。
そのエンジンの質が、ただ異なるだけです。
こうやって、目に見える肩書きとか収入だけで、発達段階を推し量ることはできないことが、こういうことを学ぶことの面白さですね。
進化し続けている
本書の中では、「メンタルモデルは一人に必ず一つ」とキッパリと断言されてます。
ところが聞くところによると、最近では、もっとグラデーションがあるというようなものだったり、ライフステージによって変わるというような表現に変わってきているようです。
あれだけ断言されていた内容が既に置き換わっている。
それだけ進化することに迷いが無いのでしょうね。
最新の情報も聞いてみたいものです。
ちなみに、てっつーは?
読み始めた当初、自分は欠損欠陥モデルだと感じていました。
まるで生まれつき体のパーツが欠損しているような感覚に覚えがあったからです。
しかし、ある時期を境に、ひとりぼっちモデル(逃避型)だったことに気づかされます。
あれっ?!
って感じでしたが、その後、これを書いている現時点でも、
ああ、自分はひとりぼっちモデルだった
と認識を新たにする体験が続いています。
これまで、何度となく自分の人生を振り返る体験がありますが、その時に頻出する記憶の内容を見てみても、「ひとりぼっちっぽいなぁ」と感じます。
(悲しい体験とか辛い体験が結構ヒントになります。)
実は、読み始めて感じたのが、不可解なほどの「違和感のなさ」でした。
人の文章を読むというのは、何かしらの違和感があるものです。それは、言い回しや単語の使い方が人それぞれ違うから。
それが時に新たな発見に繋がったりして感動を呼びます。
ところが本書では、自分の中にスーッと入ってくる感じでした。同質のものを混ぜただけという感じ。
本の中で、著者の由佐さんは、ご自身をひとりぼっちモデルだと語っておられます。僕も、ひとりぼっちモデルだと気づいて、なるほど、同じタイプ同士ゆえだったのかと、妙に納得しました。
自己認識のツールとして
ここまで読んでくださった方は、自分はどのモデルだろうと気になっている頃だと思います。
本書を通じても、ある程度の判定はできるかと。
ただ、この判定結果は「仮説とする」ことを、個人的にはオススメしたいです。まして、人をジャッジしたり決めつけたりするようなことにも使わない。
そして、出てきた仮説に基づいて、自己認識を深めるツールとして活用する。
モヤモヤとあった違和感は、こういうことか!
と、言語化できたときのようなスッキリ感があります。
その先に待っているのは、僕が体験したように、それまで認識していたもことは別のモデルだった、という気づきかもしれません。
僕は、それで良いと考えています。
だから、今の自己認識は、ひとりぼっちモデルだと考えていますが、このモデルを通じて何かを学んだりしようとしている自分がいる。
そんな感じの距離感を持っています。
(実際、価値なしの可能性も疑っています。)
感謝
この記事を書くことに先立って、本書のABD(Active Book Dialogue)に参加したことが大きな原動力になりました。
企画してくれたK.A.さん、そして縁あって一緒になった皆さんに感謝の気持ちを捧げます。
そのABDが、この記事に繋がったとも言えますが、同時に、僕自身のあまりの思い入れに、僕の記事の中でも、特段に長いものになってしまいました。
で、これが仕上がる頃になって気づいたのですが、全部を書こうとするのではなく、ABDの作法のように、端的に短くまとめることが、一番の近道だったのではないか。
そう思い至りました(苦笑)
その意味では、この記事は僕の中で最大の駄作かもしれません。。。てへ。
(でも、アップしちゃうよ。)
参考
まとめ
『ザ・メンタルモデル』の書評を書いてみました。
まずは、最後まで読んでくださって有り難うございました!
「どうせなら、本を読まなくても、最低限の理解ができるように」という意図から書き始めてしまったので、案の定、長い記事になってしまいました。
少しでも、お役に立てれば幸いです。
ちなみに、以前、学んでいた個性認識学も、4つのモデルに分類している点で共通しています。
最近は、こちらとの関連性を探求するのが密かな楽しみになっています。
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