僕が移住をしようと決めている地、九州の南阿蘇。
僕が実現したい半農半Xなライフスタイルができる場所は、日本中に沢山あります。
その中でも阿蘇を選ぼうとしてるのは、ご縁を大切にする僕の生き方からでした。
阿蘇の地との出会い
阿蘇との初めてのご縁は、2015年8月に初めてツアーで通ったときのことです。
ツアーの大まかなルートは、別府→湯布院→高千穂峡→熊本(城)というものでした。
その時の僕は、シンプルに高千穂峡に行きたかっただけだったので、それができるツアーなら何でも良かったのです。
高千穂以外は、完全にオマケの位置付けでした。
そのツアーで、高千穂峡から熊本市街に抜ける時に、バスが阿蘇のカルデラ内を通りました。
それが、僕と阿蘇の出会いでした。
オマケの筈が、後に本命だったことに気づいていくんです。
心が叫んだ
8月20日、カルデラの北側を走る、通称「ミルクロード」に差し掛かった時、バスの車窓から見える風景を見ていた時、思いがけない体験をします。
ここに住みたい!!!
突然、僕の心が、そう叫んだのです。
自分でも一瞬戸惑いながらも、その時は、「現実的じゃないよね」って、その叫びはスルーしました。
そこは、見渡す限りの草原で、家もまばら。「こんなところに仕事は無いじゃないか」と、会社員時代の僕は考えてしまったわけです。
同時に、当時は、その「叫び」が持つ価値や意味を分かってなかったんだなぁとも思います。
とは言え、当時の僕はサラリーマンとして生きていくことしか頭に無かったので、致し方なし。
その後、阿蘇での体験のことは、もう忘れ去られてしまったかのようでした。
決意と共に阿蘇が戻ってくる
そのピッタリ4年後の8月19日。(何の因果か!)
長野の小布施に滞在中のことでした。
やっぱり、農的暮らしをしたい!!
そこでの体験をきっかけに、再びそう強く考えるようになりました。
その次に出てくるのは、当然……
でも、どこで?
そう考えたときに、先ほどの阿蘇での記憶が蘇ってきたんです。
どこでも良いんだから、とりあえず阿蘇にアンテナを向けてみよう!
軽い気持ちで、深い根拠がある自覚は自分にもありませんでした。
ところが、驚きの情報が、その僅か数日後に飛び込んできます。
僕が実現したいようなライフスタイルを実現している人たちが、なんと阿蘇にいることが偶然分かったのです。
知り合いの知り合いとして。
あれよあれよと、その方達と繋がることになります。
ちなみに、そういう人たちって、どんな地域にでもいるわけじゃないんです。
実際、奥多摩では出会えなかった。しかも、僕にとって馴染みのあるトランジション・タウン活動に関わる方だったということも、ご縁を感じさせます。
ご縁を手繰り寄せる
本当にご縁て不思議。
人とのご縁。
土地とのご縁。
タイミングのご縁。
こういったものが幾重にも織り重なって、1枚の美しい布ができあがっていく。
それが人生なんだなって考えるわけです。
そんな不思議な働きである、ご縁というシステムを活用して、まるで手繰り寄せるかのようにして、人生を紡いていくのが僕の生き方です。
まとめ
僕が移住先に選んでいる阿蘇との出会いについて書きました。
先ほども書いたけど、5年前の時点では農的暮らしについては、あまり考えてはいませんでした。
阿蘇は、僕に農的暮らしという「ご縁」が揃うまで保留にされてたんですね。
その意味では、現時点でまだ阿蘇に移住ができてないのは、まだ何かの「ご縁」が揃ってないのかもしれませんね。
心当たりは無いけど、そのあたりも楽しみにしながら、その時を迎えようと思います。
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▼きっかけになった小布施旅の記事です。
▼今回の記事と同じようなテーマのものです。
▼移住したら実現したいライフスタイルに関して。
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